「ミズアオイ」と「オニバスの里」復活計画




ミズアオイ

白色のミズアオイ(根上町にて)

ミズアオイを知ったのは、1994年9月だった。
知人が初夏、植物調査で松任市の海岸で幼葉を見つけた。初めて見た植物だった。葉の形からミズアオイかコナギかと想定した。花の咲くのを待った。

夏、きれいな青紫の花を咲かせた。
絶滅危急種・ミズアオイだった。
知人から話を聞き、妻と二人で写真を撮りに出かけた。写真は納得できる出来映えだった(ホームページ冒頭の写真である)。

写真を大きく引き延ばし、花の好きな娘に見せた。驚いたことに、娘はこの花を知っていた。
「小学校の近くにいっぱい咲いているよ」
なんてことだ…! これ以来、ミズアオイにはまってしまった。

県内のミズアオイ調査を始めた。オニバスを知るきっかけにもなった。
植物の専門家からも忘れ去られていた、ミズアオイとオニバス……。ナギの会を発足させた。


オニバスの里 復活計画

北間町自生のオニバス(1970)

スイレン科の水草・オニバスが危ない。
ある資料によれば、オニバスの自生地は全国で10カ所あまりである。著名な場所は、明石市大池、姫路城、福島潟、霞ヶ浦などである。

1970年代以前は、全国のため池でごく普通に見られた水草であった。石川県でも河北潟周辺で繁茂し、農業用水一面をオニバスが覆った。農民たちは、手あたりしだいに「叩き割って」船を通した。それでもオニバスは繁茂し続けたが、農薬の使用で漸次姿を消した。金沢市北間町は、1970年頃には県内に残された唯一の自生地だった。

このオニバスに異変が起こる。河北潟の干拓事業である。この国家プロジェクトは、他所の干拓事業と異なり、反対運動もなく完成した。潟周辺の農地改良工事は、農業用水を埋めたて、「優良農地」に変えた。そして、オニバスが消え、絶滅種とされた。

しかし、水田の下に昔のままの用水が埋まっている。用水の底にはオニバスの種子が生きているはずだ。用水の発掘でオニバスの種子を掘り出そう。復活は可能なのだ。

【資料】
【漸次ファイル掲載】
北間町のオニバス/自生の様子と中田式栽培法
レッドデータブック
ミズアオイが一般に知られるきっかけとなった調査報告
浅野川小学校でミズアオイとオニバス授業
兼六園のミズアオイ
万葉集に詠まれたミズアオイ


市民グループ「ナギの会」の結成と活動

新潟豊栄市・福島潟を訪ねて
富山氷見市・十二町潟を訪ねて

オニバスリンク集
ミズアオイリンク集