さてさて、わが家の餃子のはなし



このホームページを見た朝日新聞(東京本社)から連絡があり、
2004年5月、記者とカメラマンがやってきた。
土曜版「Be」の「定番・うちの味」で紹介されてしまった(@_@)
【こちらに紹介】




2002.3.21更新

国際理解講座のこと
15年ほどまえ、金沢市が長期の国際理解講座を開いたことがある。フィリピンの「エドサ革命」の後で、日本の海外援助のあり方が話題になっていたころだった。市の職員も腰を据えてこの講座の事務局を担当していた。

ODAや市民からみた海外援助のあり方など、第一線の研究者や実践者を招いた講座だった。この講座は半年ほど続き、多くの市民が受講した。おそらく行政が企画した最優良プログラムだったと思う。

パナナグタンのこと
この講座で多くの出会いがあった。最後まで講座を受講した人たちが講座終了を機に、自主的なグループを作った。パナナグタンという会だ。
「パナナグタン」の意味は、タガログ語で responsibility(責任)。この会は主にフィリピンのスラムで活動するカトリックのシスターを支援し、生活改善や、失業者や女性の自立のため、スラムで作られる物品を「輸入」し、販売をした。

餃子との出会い
ある時、他のグループと共催でアジアバザールが企画された。その時、中国からの留学生と出会った。金沢大学の大学院で学ぶ龍さん、工学部の羅さんたちと知り合った。私は龍さんと相談し、ギョーザづくりを一緒に担当した。石川県教育会館2階が会場。私はギョーザの皮を羅さんと一緒に作った。おそらく1000枚は作っただろう。終わると手は真っ赤に腫れた。その一日で、皮づくりはマスターした。

餃子修行
バザールが終り、龍さんとも家族ぐるみの交際が始まった。家を訪ねると、よく餃子が出てくる。ご夫婦一緒にホイホイと簡単に作り、おいしいのだ。あまりに簡単に作るので、作り方を教えてもらった。教えられた通りに家に帰って挑戦するのだが、何度やっても味が違う。何か秘密があるはずなのだ。





立っているのが龍さん。その左が私。その前に奥さんの袁(えん)さんと前列に娘さん。(7〜8年前わが家で)

わが家にご夫婦を招いてギョーザパーティをしたり、秘密の発見につとめた。
何度も龍さんの家におじゃまし、次第に彼のギョーザの味に近づいた。ある年、彼からの年賀状にこうあった。
「もう免許皆伝ですね。わが家の味と同じになりました」と。とうとう、味を極めることができた。ヽ(^。^)ノ バンザイ

焼き餃子のことを考えてみた
日本人では餃子は焼き餃子のことだが、中国では水餃子が普通。焼く場合は、水餃子が残って、翌日皮が固くなったのを焼くというが、まれだ。龍さん家でも焼いたことがないという。
なぜ日本で餃子は「焼餃子」として紹介されたのか? 考えてみた。何でも「ナンデ??」と考えるのが私の癖である。
敗戦直後、中国からの引き上げ者が、中国で食べた「焼いた餃子」の味が忘れられず、横浜で、昔を思い出しながら始めたのがきっかけだ。なぜ「焼き餃子」だったのか? 中国で彼らが食べたのは「残りもの」だったのではなかったか?
本来の水餃子ではなく、残りものを出された……。 たまたま口に合ったのだろうが、これが餃子だと思いこんでしまったのではないか。

日本では来客をもてなすとき、家族の食卓に招くのを嫌う。嫌うというより、失礼にあたると思い、寿司をとったり、外食をする。これは、諸外国のもてなし方と違う。中国でもそうだが、映画などでみる諸外国のもてなし方は、食卓に招く。手料理に腕を振るって、もてなす。文化の違いと言ってしまえばそれまでなのだが、日本の文化に、どこか外国と違う「屈折した」ものがある。
「失礼だから」とは、自分で作るものに自信がないことの表現ではないか?

という訳で、このおいしい龍さん餃子を紹介したい。

(ロン)さん餃子の作り方へどうぞ

龍さんのこと―――
龍さんは現在、金沢星稜大学(旧金沢経済大学)から、富山大学へ移り、環境経済学部の教授。産業と経済のバランス=循環型社会=をいかに作っていくかの提言などをされている。
金沢滞在中、研究室に時々おじゃましたが、古典経済学からマルクス経済学、近代経済学の蔵書いっぱいの研究室で、中国茶をいただいた。
「情報公開、情報の共有は市民社会、民主主義社会の大前提ではないか……」
昔、餃子を作りながら話し合ったことを思い出す。

「私の講義は全部ホームページで情報公開している。」
ユニークな龍先生のホームページは富山大学で公開しているはずなのだが、まだ見つからない。(2004.8)