「鬼門からのメッセージ」改め、
鬼門から考える★この町のかたち


2004.4.1更新
2005.2.11テーマ追加

2005.4.9 その22更新


集落は北間町。右奥に淡く写っているビルが県庁の新庁舎
集落の左にある木が剪定された大樹ケヤキ(「その6」で紹介する)

 とうとう石川県庁が移転した。市の中心から北北西の郊外にドカーンと建ち、わが町からもよく見えるし、なんとわが家の2階からも上部の階が見える。
 県庁舎から見るとこの町(北間町)は鬼門の方角である。鬼門の住人としては、県庁舎に吹き込む邪悪を断ち切る責任がある(^_^)
 また、同時に、すでに巣くっている鬼どもを退治しなければならないだろう。

 この庁舎をみる北間町は、JR金沢駅から北北西約4km、浅野川下流、河北潟近く、大野川に接している。江戸時代以前は湿地で、最近まで稲作の一部は腰まで浸かっての作業だった。

 江戸時代初期に北間村として名が登場する。天正14(1586)年のこと。寛文10(1670)年の資料では、石高410石、湖網役35匁、猟船櫂役90目とある。当時、漁船4艘、小舟49艘あり、魚類、穀物、蔬菜類のほか麻・菜種・柿などを産した。
「村民は20戸が農業、古着商1戸、洗湯業1戸、大工1戸、料理店1戸、日稼43」の記録もある。

 典型的な都市近郊の半農半漁の村であった北間町。30数年前の河北潟干拓と周辺農地整備で風土は一変したようだ。田園風景が広がる実に気持ちのいい周辺だったが、市街化調整区域となり、田んぼに家は建てられないのだが、どういう裏があるのか、次第に住宅や工場が建ってきた。

 浅野川も治水工事と称して河川敷はコンクリートの堤防となり、大野川には不法係留と思われるレジャーボートが並ぶ。
河川敷は県の管理地であるはずなのだが、工場の作業場となっている。河北潟を含む広大な大野川流域で、この河川敷の構造物は治水上、問題はないのか。河川法での占用許可を受けていないのは資料で確認ずみだ。??……。どうも理屈に合わないことが多々見受けられる。

 いろいろなテーマで資料を集め、時系列にまとめている時には分からなかったが、集めた資料を横断的に合併すると金沢という町が、ある一方向からの力でゆがんできたことに気が付いた。
 一つは「金沢市60万都市構想」なる妄想である。もう一つは、金沢人が共有している鬱屈した風土である。

 このコーナーでは、鬼門からのメッセージを改め「鬼門から考える★この町のかたち」として暫時掲載していく。


その1 ■ 諸江通りのマロニエ並木がなくなった。
その2 ■ 大野川の不法係留が放置されている。
その3 ■ 大野川の河川敷が工場群に占領されている。
その4 ■ サギのコロニーが危ない!
その5 ■ エノキは残った。男たちと行政マンの汗と泪の物語。
その6 ■ 剪定された大樹ケヤキの物語。コモンズの思想考。
その7 ■ 瓢箪町小学校のひょうたん池追想。
その8 ■ 減歩の話。駅西区画整理事業の線引きに疑惑。
その9 ■ 全国の都市はなぜ同じ形になるのか。戦後復興の後始末。
その10■ 金沢人はなぜ主張しないのか?
        一向一揆殲滅の利家と幕末動乱の慶寧(初代県知事)

その11■ 安宅産業倒産と38豪雪
その12■ 金沢港開港と60万人都市構想
その13■ 兼六園の琴路灯籠を寄贈した木谷藤右衛門と吉次郎の話
その14■ 天下り官僚の生き方
その15■ 金沢市の町内会事情
その16■ 高校野球と暴力とヤクザ
その17■ 自転車寸借と母親のイラダチ
その18■ 昭和の町村大合併
その19■ パートナーシップとNPO
その20■ 近郊農家の生き方
その21■ 辻政信=失敗を繰り返し、それでも軍の上層部で生きた男
その22■ ポナペ島とミレー島を生き抜いた二人と旧満州の教師の戦争体験
その23■復活した農薬散布
その24■学識芸者のはなし
その25■恐るべし、手取川・天狗橋事件と2月事件
その26■△市民を作る?市民参画推進条例のはなし

特別連載【いや〜ね金沢】
 予告 その1 ■なんなの? 足場と鬼の下半身(監査請求資料あり)
     その2 ■いつまでも建設中!牢獄鉄格子
     その3 ■うんこ公園
     その4 ■飛び込み台?(準備中)
     その5 ■薄っぺらの象徴(準備中)
     その6 ■

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