「河北潟湖沼研究所」の原罪




河北潟湖沼研究所発足に様々な疑問があり、住民の立場からみると、許し難い問題を含んでいる。私は、これを「研究所の原罪」とよんでいる。

現在、研究所は「NPO法人格」を取得しているが、私は、その準備から発足までの経過(裏事情?)にも関わっている。河北潟問題を考える時、避けて通れない問題も数々あるので、ここに資料を基に、振り返ってみたい。

当研究所は、発足当時の事情(原罪)を知らず、善意で参加されてる方もおられるため、河北潟問題の探求と住民参加についての参考になれば幸いである。(渡辺 寛@ナギの会)

資料1――――――――――――――――――――――――――――――

1994年当時、何が起きたのか?
何が問題なのか?


いろいろな騒動があり、研究所代表という人が「環境と河北潟」を政策の柱にして河北郡選挙区から県議選に立候補したこともあり、過去の経過を住民にもあきらかにする責任があると思い、以下の通信をつくり全戸に配布(北国新聞折り込み)したものである。


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ナギの会通信(1999.4.5発行/テキスト版に改訂)
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河北潟問題を県政の第一級問題に押し上げた『河北潟を考える会の活動
このNPO(河北潟を考える会)は、どうして壊れたか?

1994年、河北潟を考える会が企画した「河北潟を診る/ウォッチング&シンポジウム」は100名をこえる河北潟周辺の住民が参加。この中で河北潟の水質や自然破壊、干拓地農業など様々な問題が明らかになりました。

会は6月にゴミ調査や、水質調査にとりくみ、こうした活動で得た情報から、以後、党派を超えた現職県会議員がこの問題を政策としてとりあげ、県の「河北潟の放ったらかし」を大転換させることになりました。

この「河北潟を考える会」の活動は、石川県内の自然保護活動の大きな成果でした。

河北潟を考える会(会長・清水武彦)は3名(大舘小夜子、沢野伸浩、渡辺寛)の事務局が担当していました。この会は現在ありません。崩壊してしまったのです。

当時、私(渡辺)が会報の発行などを担当し、関係市町村や県、諸団体、全国へ河北潟情報を発信しつづけ、河北潟問題の唯一の情報発信地でした。

この会がどうして壊れていったか? 経過を正確に伝えることが「私の義務」と考え、この資料を作成しました。(内容の全責任は渡辺にあります。)

会の名を勝手に偽った「研究所発足」
真偽を求めて臨時例会開催

「河北潟湖沼研究所の発足」が1994年12月21日、突然、北国新聞で報道されました(大舘、沢野両氏代表)。記事の内容は、「河北潟を考える会が呼びかけて設立」となっており、まさに「寝耳に水」の報道でした。会は当然、「会が呼びかけ」ということへの真偽を研究所に求め、会の例会で話し合いました。(「臨時例会メモ」参照=後段に掲載)

河北潟問題を解決する住民の意志を無視
非常識な運営と独善的な姿勢

この臨時例会で、「会が呼びかけた」とした、信義を欠いた研究所の側から反省はなく、会員からの疑問にも答えることはありませんでした。

その後も強引に研究所立ち上げに進み、会に混乱が持ち込まれていきました。
この様な強引なすすめ方の背景に何があったのか? それからの研究所の活動を見ていくと、次第に大手大企業の陰や、研究所に関わっている幹部の住民運動(NPO)の常識的運営についての無知があきらかになってきました。

住民の会や組織を運営していくとき、常識的ないくつかのポイントがありますが、研究所に中心的に関わっている方々の対応を見ていると、次のような問題を感じます。
その@ 参加者の合意を大切にしないすすめ方
そのA 自分たちが持っている情報を提供しないすすめ方
そのB 「住民運動は潰れてもかまわない、研究所が一番大事」という独善的すすめ方

研究所発足に大企業の陰
環境保全は住民の大きな輪が力


もともと「河北潟を考える会」が作られたのは、1992年、石川環境ネットワークの集まりに参加した森の都愛鳥会から、「河北潟レンコン生産者から訴えがあり野鳥との共生はできないか」という問題提起からでした。

1992年11月現地調査に出かけた参加者は、野鳥のこともさることながら、水質、ゴミ、湿地としての価値、動植物、排水対策など多くの問題がそのまま放置され、行政も住民も見放してきたことそのものに問題があり、新しく「河北潟問題」をテーマにしてつくられたのが「河北潟を考える会」です。

会の設立に向け、長い準備作業を続けた後、設立されましたが、この準備段階で、大舘氏から、「この河北潟の活動にお金を出してもいいと言っている企業があるけど、今は言えない」という話がありました。

準備に関わっている皆さんは、それほど気に止めてはいなかったのですが、その企業が日本的大企業だったと研究所設立の動きの中で分かりました。

一般に、企業は、持っているノウハウを使ってあたらしい分野・環境保全に力を入れていますが、そうしたものが成功する鍵は、住民の合意、それを背景にした政治家の力、行政のやる気にかかっています。中でも一番のキーは、住民パワーを一つにまとめ、合意を作り上げる努力です。

「カネは出すが口は出さない」「法人化が条件になる」
大企業の論理と住民の意識との差


河北潟を考える会が活発に活動をはじめた1994年8月。研究所準備者側から、要約次の様な話がありました。

@某大企業の金沢支店長からの提案であるが、色々な壁があって実現できなかった。
A大企業のトップは、環境問題で深刻な問題意識を持っている。次世代につながる研究、提言をまとめ、実現可能ならば実行したい。
B既存のシステムでは限界があり、市民運動や行政の外郭団体を作っても効果はない。一切の壁を乗り越えて大胆な集団をつくりたい。
C企業集団が財政的な援助をする。本社の決済も受けた計画である。
D「カネは出すが口は出さない」を基本にする。安心して組織づくり、活動計画、スタッフ集めを進めてほしい。

その後、「好意的な企業を紹介するから」と大舘氏の誘いで会の中心メンバーがその企業代表と会ったことがあった。企業側から「これからの企業は環境問題への対策など社会貢献でいくしかない。そのように社会は動いている」という趣旨の発言がありました。

両方の話の中で、企業からの意見として、一つの条件が出されました。それは「企業としてお金を出す場合、任意団体では難しいので法人化してほしい。手を挙げれば多くの企業がついてくる」というものでした。

大企業は、住民の意志を尊重した社会貢献が不可欠である

その後、研究所準備がかなり強引に進められ、会とのトラブルも明らかになってきた。会の運営で困った私は、個人的にキーマンである企業側の所長と会い、電話でも三度話したことがある。

彼は、会の混迷した状態について「困っている。なんとかしたいが、二人(大舘、沢野両氏)が新大陸で独立運動をするような感じで動いている」と率直に語っていました。しかし彼からの打開策は提示されず、話は進まなかったのです。

「金魚鉢なんか作るな!」=専門家からも指摘
問題の多い河北潟湖沼研究所の研究


さて、強引に発足した河北潟湖沼研究所だが活動はどうしているのでしょう?
研究所は、大きな事業として、ホテイアオイをつかった水質浄化の研究をするとして、内灘町に提案、町は河北潟干拓地の一角でナチュラルシステム施設を作り、運営を研究所に委託しています。

このホテイアオイ浄化システムは、世界的にはアメリカを中心に発達しています。ホテイアオイは、南米アマゾンが原産の水草。大変繁殖力が強く、別名「百万ドルの水草」とか「華麗な悪魔」とか呼ばれています。これは「愛でる言葉」ではなく、温暖な地域の湖沼一面に繁茂し、それを除去するために多大な労力と高額な費用がかかるためです。

水質浄化のためのホテイアオイ法は、この繁殖力を利用し、汚濁物質のリンやチッソを除去しようとするものです。しかし広大な土地が必要なことと、温暖な気候が条件となります。

このホテイアオイ浄化システムについて、今研究所に参加している方々もかかわって翻訳した『下水処理のためのナチュラルシステム』(中技術士事務所発行)169頁に次の記述があります。

――ホテイアオイは、もし、気温が5度から10度以下に下がらなければ、水温10度位であっても耐えることができる。もし、これにより寒冷な気候でホテイアオイ法を採用するならば、温室の中に収用して最適な範囲の温度を維持することが必要であるが、現実的ではない――

これは、植物を少しでも知るものにとって常識の範囲です。ちょうど月下美人を育てる条件と同じです。ホテイアオイ法は、アメリカでも南部の温暖な地域でしか実行されていません。

このホテイアオイの水質浄化能力は、すでに日本では20年以上も前から、霞ケ浦や琵琶湖で研究済みで膨大な資料もあります。寒冷な石川県にそれを応用しようということは、まったく理にかないません。これを河北潟で実証するのは「ホテイアオイ法は寒冷地に適さない」という常識を検証する以外のなにものでもないのです。

事実、研究所に参加されている研究者の方々からも、このシステムを進める事務局に対して「金魚鉢なんか作って、何がわかるのか?」と批判が続出しているそうです。

これと同じ様な、ナチュラルシステムの実験が河北潟干拓地の中で行われています。これは金沢市が建設省や県の補助で行っている「アシを使った水質浄化施設」です。
これも現在では時代遅れの研究でありますが、ホテイアオイよりも河北潟の気候、環境に適したものです。この施設では、アシの他にアヤメ、カキツバタ、ショウブ、ミズアオイなどを植えています。こちらの方が理にかなっています。

河北潟周辺住民の大きな輪をつくりあげましょう

現在の石川県知事は、元茨城県環境部長でした。霞ケ浦でおこなった大きな水質浄化の実験などはすべてお見通しの方です。
河北潟の本格的な環境回復、環境保全、水質浄化の取り組みのために、ちょとした小手先の仕掛けを持っていっても通用しないでしょう。

すべてのキーは、住民の意志を大きなつながりにまとめることです。
「ナギの会」は、河北潟の環境保全のため河北潟周辺の新しいネットワークづくりに力を入れたいと思います。そういう、常識的な人と人とのつながりを寸断してしまった「河北潟湖沼研究所」に参加されている方々が、初心に帰ることは、多くの人の望みでしょう。

また、住民の心を寸断したばかりでなく、当初、河北潟湖沼研究所の設立に意義を感じて多くの研究者も参加されましたが、今では一人去り、二人去りして、ごくわずかな専門家しかいなくなっています。こうしたことを率直に反省することが必要ではないでしょうか。

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■資料(94年10月河北潟を考える会臨時例会メモ

この資料は、1994年10月28日開催の「河北潟を考える会臨時例会」のメモである。全体の雰囲気は、静かではあったがかなり険悪なもの。参加者に対して「研究所」から「発足時」に報道関係者に既に配られている資料の提出もなく、参加者には状況が分からないままに終わった。
(傍聴した報道関係:石川テレビ、朝日新聞、毎日新聞)

渡辺(会を代表して司会) 北国新聞に掲載された内容についての研究所からの説明を求めたい。

研究所(大舘) 河北潟の環境調査、研究、水の浄化などを専門に行うための社団法人として発足したいと考えてきた。すべてこれから決める。

研究所(沢野) 三重県の環境事業団や環境庁が作った日本システム開発研究所のようなものが石川県にあっていい。河北潟は行政区域を超えて対策を考える必要があるだ。

IK 趣旨は理解できるし、必要だろう。しかしなぜ強引に進めたか?

研究所(沢野) 北国新聞のようには、私は話していない。読売新聞が正確だ。準備会である。

渡辺 個人的には研究所の話は聞いていた。しかしこの問題は会と研究所という組織対組織の問題である。資料公表すべきだ。

IK 企業の参加には一定の枠が必要だ。どんな企業でもいいということにならない。

ST 企業からお金をもらって運動がやれない。

研究所(大舘) 企業を差別することになる。参加企業名は先方の同意が必要だ。言えない。

ST 企業から金を貰った運動は堕落していった。

研究所(沢野) だからなお「やってやる」との思いだ。

渡辺 地球サミット以後、企業も変わって来ている。企業をすべて敵視するのは一面的ではないか。

KR 研究所で何をするかが問題。河北潟の水をきれいにするといっても、どうきれい にするかの一致が必要ではないか。

MT 新聞を見て初めて研究所発足と知った。しかしいい気分ではない。

MS 私も研究所に参加したが住民にも言えないのではついていけない。

研究所(大舘) 私が友人、知り合いに呼びかけてこの話が進んだ。住民、行政、企業、研究者が一つになって河北潟をきれいにすることだ。

(このあたりで会が騒然となる。おかしい…、事実経過の発表を……などなど)

渡辺 発言していない人、発言を。

MG 漠然とは聞いていた。しかし、きちんと説明がほしい。住民はどこにいってしまったのか。

ST 住民をおいていかないでほしい。研究所の原則をつくってから会員拡大をしたらどうか。

研究所(大舘) それはムリ。企業にも行政にも声をかけている。何をするかはこれから相談して決めることだ。ぜひ協力をお願いしたい。

HR 法人格をとるということは法律行為である。出来てしまえば一人歩きをする。この会で研究所の人事や基本点を決め、提案するのが重要ではないか。

渡辺 研究所の参加者名簿や趣意書案などは報道関係者に既に配られている。理解と協力をいうなら、まず資料提出して説明を。

(研究所側からは、「参加者名は出せない」「活動はこれから決めること」の2点を強調。それ以上の内容はない)

MY 河北潟問題ではやることがたくさんある。住民だけではできないし、研究者、行政、企業が協力していかなければならない。

MN (遅れて参加)研究所は出来れば出来たで結構。出来た後で研究所の活動として住民側が協力できるものがあれば協力共同の精神でいけばいい。

研究所(大舘) 早急に研究所の趣意書をつくるので次回に持ってきます。

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【資料】
 最後の例会メモ亀裂はどうして生まれたか
亀裂回避で提案