水利権の知識で何ができるか?
(2003.2.2 大阪での講演録)


2002.2.10掲載



2003年2月2日に大阪で開かれた、


『水の自由化・商品化を考える連続学習会』


第4回「流域から水を考える−水循環の中から見えてくる水−



に招かれて講演した時のものである。




水利権の知識で何ができるか。
(2003.2.2 講演録)
(渡辺 寛@ナギの会)

最初に資料説明(こちらに紹介)。

◆水利権の話は眠ってしまう
 河川法とか水利権の話は、箇条書きにして解説しても、難しいだけで、まったくおもしろくないと思います。恐らくほとんどの方が眠ってしまうでしょうから、実際に私が辰巳ダム問題を調べる中で、分かってきたこと、行政と実際どういうやりとりをしたか、行政がお手上げ状態になったかなどの様子を報告したいと思います。皆さんが関わっている水や河川、湖沼、ダム、水道や工業用水、洪水や治水を考える参考になればと思います。

◆公文書請求
 辰巳ダム問題を一からから調べたいと、公文書を請求。1998年9月のこと。これまで、数百件の公文書を請求。平積みで2mほどになると思います。

◆地図説明(犀川水系と辰巳用水位置図)

◆辰巳用水を調べながら水利権問題へ
 金沢はかつて農村都市だった。小京都と呼ばれているが、観光客集めの宣伝文句で、実際はビルばかりの町になりました。私はこれが許せない思いで、江戸前期に建設された歴史的文化財を守ろうと、辰巳ダムで壊される辰巳用水を調べていました。地図参照。
 それぞれが10キロの距離です。わかりやすい地形です。
【日本海】【兼六園】【辰巳用水取水口】【犀川ダム】【源流(稜線・県境)】
 辰巳用水は辰巳用水土地改良区という用水組合が管理しています。水利権を持っています。まずこの水利権の資料を請求しました。
 申請している書類に「潅漑期以外は兼六園へ取水する」とありました。今までだれも気がつかなかったのですが、ふと「花見の頃は潅漑期だ。兼六園の水使用の根拠はどこにあるか?」と思ったのです。兼六園事務所に聞くと「わからない」との答え。「昔調べたが分からなかった」と言う返事でした。河川課に聞いても分からない。普通は誰もがここで諦めるのですが、何でも「なんで?」とひねくれているのが私で、自分で調べてみることにしました。
「農業用水の研究」という本を図書館から借りてきて読んでみたところ、昔の水争いの話がたくさん出てくるのです。そういった水争いを通じて長い間に一定の秩序が出来てくる、これが水利権の基礎になっていることが分かりました。
 水争いというと、関西では、お隣の和歌山県紀ノ川支流に水無川という川があります。この川では平安末期・鎌倉・戦国時代と、朝廷や荘園、豪族を巻き込んで実に二百年以上も争われ、中世史の研究に欠かすことができないそうです。こうした中世の水争いは各地で「ケンカまつり」として残されているんですね。
 現在でも水争いは、たくさんありますが、一番大きいのは、公共事業をめぐって市民と行政の間で、血こそ流さないが激烈に進んでいると言えると思います。

◆兼六園の水使用は歴史的
 話がそれましたが、兼六園が水を使っているのは、歴史的な慣行的な水利権ではないのかと、ふと思ったのです。
 資料を見ると、辰巳用水は県知事が許可する許可水利権になっている。農業用水なんですね。これまで県もそう説明してきました。資料を見るとそのようにも読めます。そうすると辰巳用水には農業用水とは別に、資料にはないが、兼六園が使うための水利権があるのではないか、つまり辰巳用水には2つの水利権があるのではないか。そう感じて会報にも載せてあちこち配ったりしました。
 辰巳用水の取水口を調べに行ったら土地改良区の方に会った。聞くと辰巳用水は慣行水利権だというんです。県が許可水利権というのは間違っている。許可水利権ではないと言われました。私のカンが的中したのですね。
 それでは県の許可水利権というのはおかしいのではないか。さっそく公開質問することにしました。99年のことです。5ヶ月待ってようやく回答が届きました。まったく回答になっていないのですね。役人答弁とでもいう、無内容のものでした。

◆慣行水利権は届け出制
 5ヶ月も何をしていたんだ?と思い、「回答準備のための部内資料」という資料の請求したら改良区から出していた「慣行水利権の届出書」というものが出てきたんです。
 許可水利権と慣行水利権の届出書は矛盾する。どちらか一方が正しいのです。県は隠していたんですね。県は許可水利権としているから、追求すると「参考資料」だったと言う。許可水利権資料ではないので公開しなかったというのです。詭弁ですね。
 この届出書の意味は後で説明します。

◆水量がおかしい
 もう一つ。水量のこと。
 辰巳用水は犀川本川から毎秒0.7t取水するとなっています。戦後、土地改良法(S24年)によって、普通用水組合が土地改良区に組織変更しています。この申請書をみると「用水管理計画書」というのがあって、潅漑用の水量が書いてありました。
 しかし潅漑用に必要な量は「拾立方尺/秒」と書いてある。計算すると0.27t/秒なんです。許可水利権では0.7t/秒なのになぜ?と思いました。0.43は何処へ流れているのか?
 これが兼六園へ行く水かなと、兼六園管理事務所を訪ねて水量を聞くと、0.06〜0.08t/秒しかとっていないという。おかしいですね。金沢に住んでいる人は分かりますが、残りの水は市内を流れているのですね。これが金沢市の景観や冬の融雪、あるいは防火用の水なんです。金沢市の観光にとっても重要な意味があるのです。
 辰巳用水は農業用水だけでなく、市内の用水や兼六園への水など、金沢市の観光的にも重要な要素だと分かる。農業用水に限定している今の許可水利権の内容がおかしいのです。
 この内容は、江戸時代の昔から一般市民には当たり前のことで、誰も不思議に思っていないし、辰巳用水の水がこのように流れていても、誰も文句を言わない。これを慣行水利権と言うんですね。
 慣行水利権には定義があります。
「一定の者が一定の流水使用(取水ないし利水)を反復継続し(習慣)、その慣行が社会的に承認されることによって成立する権利」と言われています。

◆慣行水利権は無数にある
 ついでの話ですが――。この慣行水利権は、昭和40年成立の河川法では、すべての水の使用を国家管理の元に置きたかったが、農業団体や全国知事会が猛反対。河川法成立も危うくなり、慣行水利権についての1条を入れた。河川法には慣行水利権とは書いていない。第79条に「2年以内に届出書の提出すれば許可したものとみなす」と書いてある。「みなし水利権」と呼ばれています。期限は昭和42年3月30日。しかし届出のない慣行水利権は多い。無数にあります。これは判例でも確定しています。

 先ほどの辰巳用水土地改良区から出された慣行水利権の届出日は42年3月30日。河川法による慣行水利権であることがはっきりしているのです。しかし県は許可水利権にしている。これはちょっと混み入った話になりますので割愛します。興味のある人は、ナギの会のホームページを見て下さい。土地改良区や私の正当な主張とか、県の水利権についての無理解がよくわかる。

◆犀川ダムの資料紛失で大騒ぎ
 こうした辰巳用水の水の行方を追いかけている頃、辰巳ダムの建設予定地の10キロ上流に昭和40年に完成している、犀川ダムの資料が公開されました。(犀川水系と辰巳用水位置図)
 実はこの資料、昔、請求しても出てこなかったものでした。「不存在」とされていました。しかしこの資料を金沢市企業局にあるのを発見しました。「県の「不存在」は不当だ――」「本当は永年保存文書を紛失したのだ――」と。これにはマスコミ各社が大きく取り上げ、大騒ぎになりました。
 県は、一生懸命になって資料を探しました。本来の書庫にはなく、犀川ダムの事務所も探した。とうとう出てきたのです。犀川ダム本体の奥底の倉庫の中のボロボロの段ボールの中にあるのが発見されました。担当者はホッとしたと思いますが、この後も県のドタバタがずっと続きました。詳しくは辰巳の会のホームページに紹介されています。

◆工業用水の計画は挫折
 さて、公開された犀川ダムの資料を見ていると、目的に治水、潅漑、上水、工業用とあります。先の3つは分かりますが、工業用というのはおかしいと気がつきました。金沢市が持っている工業用水の水利権だったからです。
 この計画は、犀川ダムを作った重要な要因だった。昔、金沢市を60万人都市にしようと、金沢港周辺に工業団地をつくり、そこで使う水を開発するというもので安宅産業という商社が持っていた。この安宅産業が昔、倒産しました。このためもあって、計画はずっと昔に消え、市の長期計画にも載っていない。市の工業団地の計画は、全く別の場所にテクノパークという名前で開発しているのですが、この造成地も失敗していて、広大な団地の中に2つの工場があるだけです。第2期計画もあったのですが、私たちの問題提起が議会でも取り上げられたりして、市は断念しています。

◆遊休水利権の発見
 市が計画していた金沢港の工業団地の予定地はどうなっているかと言うと、現在県庁が移転して建っています。つい先日のことです。年末年始を返上して大引っ越し作戦をやっていました。新県庁周辺は、小さな民間駐車場やアパート、店舗、住宅地に急激に変わっています。工業団地を作ることは将来にもないのです。おそらくこれから10年ほどで農地がなくなると思います。しかし、犀川ダムで開発された水は権利として金沢市が持っている。使う目的がなくなった。しかし権利だけある。こうした水利権を遊休水利権といいます。

 遊休水利権は何が問題かというと、これは建設省が言っていることですが、3Pの下に紹介しました。
 重要なことなので読みます。
「このような遊休水利権が存続することは、権利の上に眠る者を保護することなるばかりでなく、他の緊急に必要な水利使用を排除することになるなど、望ましい水利秩序を乱すことにもなる」
 とあります。これを言っているのは、建設省河川局水政課水利調整室というところ。

 もっと詳しい遊休水利権の定義も建設省は通牒として各県知事に出しています。3Pの上の資料です。これは河川局から出されている通達です。後で読んで下さい。すっきり分かると思います。この資料は、「河川全集第一巻 水利権」(建設省河川研究会編)を読んでいて見つけたものです。
 金沢市はこの遊休水利権を維持するのに今まで数億円を県に支払っています。これは全く不当で金沢に帰ったら数日中に監査請求する予定です。

◆上流に辰巳ダム一個分があいている
 数億円のお金のことより重大なことがあります。犀川ダムの遊休水利権と、もう一つ水道水のこと。将来も開発した半分しか使われない。二つの水余りを足すと、ほぼ辰巳ダム一個分になるのです。辰巳ダム予定地の上流に辰巳ダムの容量が空いているということなんです。これを放っておくのは実に不当なことです。最近、こしたことが全国あちこちから報告されています。
 最近の構造改革に関連して、国土交通省も「既存ダムの有効活用」を言っていますし、総務省も「目的変更の制度をつくる」として、昨年夏あたりから実施しているようです。

 大阪でもこの水余りという問題とダム問題が大きいと思います。紀伊壬生川ダムも開発しても需要がなく、水余りになったのが中止の大きな理由だったようです。さきほどの淀川でも水余り。

◆都市化で潅漑面積が激減。水は昔のまま流れる――
 次の話題に進めますが、農業用水の周辺をまわっていると、いろいろ気がつきます。周辺がどんどん宅地化して、農地などがなくなっているのです。水も当然必要がなくなっていると思うのですが、実際調べてみると、昔のままの水が潅漑用に流されているのです。これはダムの操作規則からも裏付けられます。(犀川ダム操作規則)
 犀川では本流から7つの大きな農業用水へ取水されています。潅漑面積を調べてみたところ、なんと犀川流域で、戦後50年の間に35%に減っているのです。(辰巳用水二つの地図)
 この地図で、辰巳用水の灌漑の様子がわかります。
 4ページの中段の表が、7つの用水での一覧です。一番少なくなっているのは、泉用水で、15%になっている。ここは金沢市の南部。都市化が一番すすみ、ほとんど住宅街です。(道路地図)
 金沢市の中心を流れ、日本海に抜ける大野庄用水、鞍月用水の潅漑面積の真ん中に県庁が建ち、現在でも30〜40%。これから急速に都市化が進み、農地がなくなります。しかし用水を流れる水は昔のままです。
 慣行水利権と許可水利権、この水利権で決められたままの量が流されている。これをどう考えるのか、これじゃ河川管理はできないだろう、と公開質問しました。回答不能です。とんちんかんな回答が返ってきました。
 この農業用水と潅漑の話は、中西潤子という下水道の大先生が、「水の環境戦略」という岩波新書の中で指摘している問題です。渇水で水道が制限されているのに家の前の用水にはたくさんの水が流れている。この問題解決には水利権の見直しが必要だ、というものでした。10年ほど前に読んだとき、よく分からなかったのですが、農業用水の実態を知った今、先生の指摘はよく分かります。
 全国で利水の60〜70%が農業用水に使われていますから、用水と潅漑面積、必要な潅漑用の水使用の調査や実態解明を市民から声をあげることが必要だと思います。

◆調べもしないで行政はハンコを押す
 これまで見てきたように、河川からの水の使用には水利権が伴います。河川法という法律は理念法とも言われ、「河川管理はこうあるべきである」と決められた法律です。だから定められたとおりの河川管理をすれば、それなりに整合性のとれたものになると思うのですが、実際は行政は何もやっていないのです。許可水利権には一定の期間がくれば更新という手続きがありますが、その時、きちんと調査し、水が過剰に使われていれば、許可量を少なくしたり、目的がなくなっていれば許可の取り消しなど、制限すれば、それなりに問題解決になるのですが、石川県を見る限り、更新の時、県は何もやっていません。ただ書類にハンコを押すだけです。これが河川管理者の実態です。こうしたことがだんだん分かってきました。行政職員は水利権についてはまったくお手上げ状態です。これで「国からの法定受託事務」というのだから恐れ入ります。

◆「水利権」が市民のキーワード
 最初のこの話のテーマ「水利権の知識で何が出来るか?」ということですが、今まで話してきたとおり、水利権を学ぶのは水問題を解明するのに不可欠です。かなり難解で根気がいりますが、興味と関心を持つとたくさん見えてくると思います。
 おもしろいのは、この水利権という問題は、行政の担当者もほとんど知らないことなんです。2〜3年で担当が異動で変わる。水利権なんて勉強する時間も問題意識もない。前任者から聞いて事務的にハンコを押しているだけなので、内容は知らない。だから市民が水利権を学べば、行政にかなりのダメージを与えることが出来ます。水管理の本質を突くことができると思いますし、これから水の循環、水の需要と供給、治水、利水を考える上で市民から行政へ働きかける重要なキーワードが水利権なんです。(おわり)

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【パネルディスカッションにて】
 この後、高田直俊さんがコーディネーターになって4名でパネルディスカッションが行われた。主に「淀川水系流域委員会」の話題。水余りや淀川水系には今後ダムを作らないとの提言をまとめた、委員会審議の経過や市民からの議会や行政との関わりについて熱い討論が続いた。

 この中で、会場からの発言。あるダムに関わる方から「流域委員会で河川整備基本方針を作らないで、20〜30年を考えた短期的な河川整備計画でいいではないか、という話が持ち上がっている。これをどう考えたらいいのだろうか」という疑問が出されました。
 これに私から意見。
「基本方針を決めなければ基本高水(洪水量)が不明。洪水量がわからないから工事の設計もできない。おそらく心配で、緊急避難的に工事をしたいということなんでしょうが、緊急避難的な河川工事には、戦後すぐに出来た治山治水臨時措置法を使えばいい。5年間の時限立法だったが現在まで延長されてこの法律が生きている。この法律を使えばいい。河川法でやる以上、行政は河川法の規定を守る義務がある。これをやらないと行政職員の法律遵守義務に違反する――」
 案の定、この緊急避難的な河川工事の話は、「行政職員から出ているのではなく、流域委員会の委員の先生から出ている」とのことでした。

(以上、報告は渡辺)