小生が中学生のころだったか、父に戦争について尋ねたことがあったが、父は「戦争は絶対にしてはいかん」というだけだった。普段から寡黙な父であったが、この言葉には重みがあった。それ以来、父に戦争のことを聞くことはなかったし、父も語ることはなかった。
以前、父の参加した第9師団の戦史などを調べたことがある。大変重い南京攻略戦で城門一番乗りを果たしたのがこの隊であることも知る。その後南方の島々へ転戦。敗戦を向かえる。南方の島々では多くの兵士が餓死した。
すでに故人となられたが、以前お世話になった3名の方の戦争体験を紹介する。
◆戸田 三郎 さん
(テープ整理中)2度召集。南京戦とミレー島へ。兵士はほとんど餓死。金沢市。
ご本人と作品の写真掲載しました。
◆菅原 光男 さん
大正10年大連市生まれ。満鉄本社経理部会計課。軍隊内申書に「頭脳明晰なれども性質粗暴にして雷同性に富む」。主計兵として召集。上層部に自給自足を提言。ポナペ島で終戦。兵士は飢えることなく帰還。野々市町。
=遺稿「鴉」(からす)より「君知るや南の国 椰子林で想ったこと」
◆島 喜朔 さん
(テープ整理中) 明治44年生まれ。収録は83歳時。昭和13年、外務省から在満州大使館へ出向。学校教育に携わる。敗戦直後、旧・安東(朝鮮半島の付け根にある)で大量の日僑(在中国の日本人をこう称していた)の帰還者の世話に献身。
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