幕末の激動を経て、時代は明治に入り、鎖国を解いた日本にとって緊急に要求されたのは、西洋なみの法整備だった。
屈辱的な不平等条約のもとでしか世界とつきあえない原因に、法治国として当然持っていなければならなかった法の不備が大きい。当時の先進国からみれば、悲しいかな野蛮国でしかなかった日本であった。
現在に直接つながる、日本の河川管理のための法整備がどのように進められたかを調べてみた。
これをまとめて驚いたのは、明治元年(1869)には、既に法律整備のための調査を始めていることだ。(明治憲法発布は明治22年(1889)である。)
また明治3年(1870)には、治水工事のための全国一律の手続きを定め、翌年には『治水法規』なる全国統一の指針をまとめていることが注目される。
河川管理のための法整備は、明治29年(1896)に初の河川法としてまとめられるが、当時の帝国議会での議論で「慣行的な水利用」が焦点の一つとなっていることことも重要な点である。
また、最近までの日本は「農業国家」であったため、農業用水の管理権は元々行政にあった。
戦後「土地改良法」が施行され、農業用水は農業団体へ移行した。
こうした治水や利水のための法整備がどのように現れているか、辰巳用水の歴史と重ねて年表としてまとめた。
時期区分は「講座日本近代法発達史−資本主義と法の発達」(勁草書房)、「岩波講座現代法14」(岩波書店)によった。(渡辺
寛@ナギの会)
【関係資料】
「逐条河川法」建設省新河川法研究会編 港出版社 1966
「農業水利権の研究」「同 増補版」渡辺洋三著 東京大学出版会 1954,1979
「水の法と社会」森實著 法政大学出版局 1990
「河川法資料集第1集,第2集」建設省河川局 1966
「水利権」安田正鷹著 松山房刊 1936
「河川全集第一巻 水利権」建設省河川研究会編 1958
「辰巳用水土地改良区設立変更申請書」県保管資料 1936
◆… 法整備の歴史と辰巳用水 …◆
(赤字は辰巳用水関係項目)
◆法体制準備期
(維新から憲法発布まで 1868〜1888 資本の原始的蓄積期)
1868 M1 治河使おく。司法卿大木喬任、法典編纂参考のため「民・商慣行調査」
1870 M3 治水申請手続き定める(府藩県の申請を統一)
1871 M4 廃藩置県
1871 M4.2 太政官通達『治水方規』 慣行打破、全国河川巡視、水量計設置、治水事業の統一。辰巳用水、石川県の管理に(石川県土木専務)
1871 M4.12 『治水方規』改正 旧慣に依拠する。
1871 M4 『戸籍法』成立 自然村の解体と行政村発生。(村有財産は村民総体の総有)
1873 M6 外人技師ヨハネス・デレーケ来日 全国で河川改修指導。
1874 M7 全国水害調査(当時の治水は低水工事。舟運路確保)
(この頃までの水争い裁判は『農業水利権の研究』(渡辺洋三)に詳しい。)
1880 M13 『地方税規則』
1880 M13 『区町村会法』で水利土功会設置規則(水利に関する事項が行政に属する事務となる)
1885 M18 内閣制度発足
1886 M19 低水工事から高水(洪水)工事へ転換。
1887 M20 辰巳用水区域水利土功会発足(管理者:金沢区長)
1889 M22 『帝国憲法』発布
1890 M23 帝国議会招集
1890 M23 内務訓『官ニ属スル公有水面埋立並ニ使用ニ関スル件』で「使用慣行あるものに限り地方の状況により特に委任する…」とある。
◆法体制確立期
(第1次世界大戦まで 1889〜1913 産業資本確立期)
1890 M23 『水利組合条例』(水利団体の市町村からの分離。土地所有者と非土地所有者の分離。旧慣あるものは旧慣による。)
1891 M24 このころ大河川の高水工事(洪水対策)建議。
1891 M24 辰巳用水普通水利組合設立(管理者:石川郡長)
1891 M24 「犀川通七カ用水配水取扱規約」制定。
1892 M25 辰巳用水管理者、崎浦村長となる。
1894 M27 条約改正(英国との不平等条約解消)
1895 M28 金沢市、上辰巳発電所計画(用水組合は反対)
1995 M25 辰巳用水隧道明り窓新削、隧道付替え(費用は組合。隧道補修は組合のみで決済)
1896 M29 『河川法』(貴族院で一人慎重論)
(河川法の特徴:私権を排除し一切の事務を国家権力に集中した)
1896 M29 『民法』成立
1897 M30 『土地区画改良ニ係ル法律』
1899 M32 『耕地整理法』
1900 M33 辰巳発電所完成(寺津用水より取水)
1903 M36 辰巳用水管理者、石川郡崎浦村長に移管
1904 M37 日露戦争(以後発電のびる)
1907 M40 金沢市、辰巳用水組合に工事費補助の申し出。
(「本市ニ在テハ重要ノ用水ナル…今回完全ナル修工ヲ希望…松下町ヨリ石引町公園…」
1908 M41 『水利組合法』(監督庁の権限強化。組合費は租税扱い。法人化。犀川七カ用水組合)
1909 M42 『耕地整理組合法』
1911 M44 不平等条約撤廃
◆法体制再編期
(満州国建設まで 1914 T3〜1931 S6 大正デモクラシー)
1918 T7 米騒動(大正期、小作争議も頻発)
1919 T8 『開墾助成法』(工業発展、食糧増産政策の反映)
(この頃から、発電水利権の生成発展。農業水利権への攻撃。河川法改正案たびたび提出。調整つかず改正は昭和39年)
1922 T11 兼六園へ副取水路設置(天徳院付近に。県費負担)
1928 S3 上水道認可(犀川七カ用水組合、水源地反対既成同盟会をつくり猛烈反対)
1929 S4 上水道紛争解決(寺津用水:分水口を上流に移しトンネルを掘って流下。辰巳用水:内川合流地にポンプ設置など)
◆法体制崩壊期
(1932〜1945)
1936 S11 崎浦村、金沢市編入。(辰巳用水管理者:金沢市長に移管)
1938 S13 『国家総動員法』
◆戦後
1949 S24 『土地改良法』(用水ごとに土地改良区をつくる)
1952 S27 辰巳用水土地改良区設立。水門番は辰島家世襲。
(管理者:辰巳用水土地改良区。管理地区は天徳院より上流)
「辰巳用水土地改良区維持管理計画書」(取水量は拾立方尺/秒(0.27t/秒)で、…過不足を来すが、大体において取水量は充分である。…。旧軍用地の水田化や金沢市の衛生、観光、防火面の用水量を考えれば維持管理は極めて重要…。非常時は補給水を揚げる…、云々) →◆参考:辰巳用水土地改良区資料
1961 S36 兼六園副取水口、錦町へ(77涌波、78末町に)
1964 S39 河川法成立(施行S40.4.1)
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