あいさつ文の保存庫

この部屋はプライベイトルームの挨拶文の保管室です。一番上が最新。

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2005.2.25‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

このページ、あれあれ、気が付くと1年もほうって置いたことになる。
先日、1年半振りに若者が訪ねてきた。奥さん連れで赤ちゃんも一緒。
彼、数年以上前、医大に入り、瀬戸内海に面した遠くの町から金沢へやって来た。彼のサークル活動を通して知り合いになり、我が家から近くに住んでいたこともあり、大学時代はよく我が家を訪ねてきた。目的はメシ…? ふらっと現れ、食べて消えた。夏は山へキャンプに行った。
この彼が、今では立派?な新進の医者。バイクや自動車のメカが好きだったから、外科がお似合いだ。

おみやげが「関の包丁」。ちょっと紹介。
薄刃で広いから、中華包丁のように食材を載せることができる。
  
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ついでに、我が家の常用包丁 & ナイフ を紹介。
  
   クリックで紹介のページへ


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐2004.2.25‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
 さてさて、2004年があけ、もう2月がおわる。他界した母親の思い出などを書いたものを、このページから消すのにちゅうちょがあり、1年以上更新がとまっていた。
 2回の新年を終えた。そろそろ書き足しておこう。

 東京の子どもたち、相変わらず3人同居で、やっている。彼氏がいたり彼女がいたりするのだが、その先が進まない。小生は一向に気にしていないのだが、ピノママは大事件のようにイライラしている。男親と女親の違いなのか?

 いろいろ格闘してきた辰巳ダム問題。昨年末、辰巳用水が守られることになった。
 一時、「水利権」に没頭していた。特に農業用水の水利権。慣行水利権のことで、なかなかおもしろい。資料が山になった。頭の中も水利権、水利権だった。水の流れを見ると気になった。権利関係はどうなっているのかと。
 高木仁三郎市民科学基金に応募してみた。先日事務局から連絡があり、書類選考で51件中、16件が通過したとのこと。最終決定するための公開プレゼンテーションに参加することになった。
 友人が騒いでいた。「ケンがとるかカンがとるか」って。ケンとはラストサムライの渡辺謙。なんとまあ……。28日が発表会。金沢からわざわざ聞きにいくという人も現れた。こりゃあ、大変だ!


-----------------渡辺 寛 2002.12.9-----------------------

去る12月4日、母・八重子が遠い地へ旅立った。79歳だった。

数年間から、骨折や風邪、肺炎などで、何度か入退院を繰り返していた。
2年前から歩くのが苦痛となり、車椅子生活となる。
家をバリアフリーに改造。トイレもベッド近くに新設。
月2度の通院と酸素補給療法で普通に割と元気にしていた。

1ヶ月前から、食が細り、気力と体力が衰え始めた。
朝、食パン6分の1切れ。栄養剤100ccほど。夕食は、うどん、お粥、雑炊…、柔らかいものを食べた。
11月20日、突然脱力。車椅子に座るのもつらくなる。

 病院へ行き、点滴で体力回復を図る。医師は入院して点滴すればいい、と言う。私は、感染症が気がかりで、毎日点滴に通院することにした。
 2日間通院を実行したが、移動が大変だった。
これは本人にとっても負担と考え、入院することにした。11月22日のこと。6人部屋で点滴を受けていた。

11月28日までは、話もした。4人部屋に移動。
「もみじこが食べたい」と言うので、翌日持っていった。11月30日、病院に行くと個室に移り、酸素吸入をしていた。眠っている。手を握っても顔をなでても反応なし。

12月4日、午前11時過ぎ、病院から電話あり。
「お母さんの具合が悪いので来て下さい」
病室に入る。
機器は既にはずされ、横たわっているだけだ。
午前11時25分、眠ったまま母は逝った。

        × ×

寒い日や雨の日が続いたが、通夜と葬儀の2日間は好天だった。親戚、子供たちも東京へ帰った。
現在、虚脱感と緊張感が同居している不思議な感覚。

        × ×

母から聞いた彼女の一生を略記しておこう。

北海道白老の生まれである。
明治中期、高松町出身の母の祖父一家が、北海道白老へ渡り、豆腐屋、海産物問屋を商い、成功した。近郊の山中に沸き出した温泉の開発事業に乗り出す。

長男は、店で働いていた女性と結婚。母が生まれる。母を生んで、実母はすぐに死去。母は、生母の面影を全く知らずに育つ。祖父は、温泉開発途中に死去。事業は挫折。

一家は郷里の高松へ帰る。母は、金沢市内の親戚の家で育てられる。
戦争時代。母は看護婦となる。金城病院や陸軍病院(現北陸病院)などに勤務。地元紙の新聞記者で、男兄弟ばかり8人の長男、渡辺一栄と結婚。明治の姑のいる家に入る。

厳しい姑だったという。苦労の連続だったと時々昔を振り返った。一栄、出征。九師団第七連隊。「南京攻略」部隊である。
一男二女をもうける。一男とは私のこと。
次女(私の妹)が30年前に死去。22歳だった。
「化けて出てこい」「幽霊やお化けなんかウソや」
これが母の昔の口癖だった。

昭和56年。伴侶(私の父)が他界。私に3人の子ができ、母は孫の面倒を見ながら忙しい毎日を送る。時間に余裕が出来ると、全国の温泉やお寺巡りを始める。

数年前、家の前で転んで手をつき骨折し、入院。このころから体力減退。母の命日となった12月4日は、奇しくも母の次女の命日と同じである。

       × ×

静かである。
今日、母の死を知った知り合いが3人訪ねてくる。
仏壇の横に車椅子が置かれたままである。



   (ぬし)を待つ 香煙凍てし 車椅子

                            合 掌  2002.12.9


-----------------------渡辺 寛 2002.9.14-----------------------

今、平成の市町村合併で石川県中が揺れている。
金沢市の人口が46万人。
金沢市長は、「50万人になれば特別行政区になることができる」と
南隣の野々市町へ猛烈アタック。
野々市町は4万余の人口があり、合併すれば一挙に50万を超える。
しかし、野々市町は、独立した市への展望をもっていて、
金沢市長からの申し入れを断り続けている。
なかなか思い通りに進まないので、何を錯乱したか、
金沢市長は、白山麓5村へも合併の申し入れ。
歴史も文化も金沢と違うこの合併話には、
さすがに、誰も白けてしまっている。
「いやだいやだ」という野々市町を追いかける姿は、まるでストーカー。
無様である。

わが家は町の喧噪から離れ、つつがなく平常な生活である。
暑い夏が過ぎ、一挙に秋。夜は寒い日もある。
ある日、寝ようと二階に上がって背伸びをしながら外を見ると
隣家の屋根の遠くに赤い灯が4つ見える。
初めて見る。何事かと調べてみると、県庁の新庁舎の屋上の灯だった。
見える位置は、わが家のほんの一点。ちょっとずれると見えない。
なるほど、このラインが鬼門線なのだ。妙に納得する。
以来、毎日この赤い灯を見てから、寝ることにした。



-----------------------渡辺 寛 2002.8.11-----------------------

「金沢人はなぜはっきりものを言わないのか?」後日談。
朝日新聞から取材依頼があった。
聞くと、「渡辺さんを取材したい」のだと言う。
あれあれ、こんなことは初めてなのでとまどう。
「流されない」という企画物の連載にぜひと言う。
連載が始まった最初に企画の趣旨説明があった。

 大勢順応や横並び。長いものには巻かれろ。私たちはとかく権威や多数派に従ってしまうことがある。しかし、孤立を恐れず、思い定めた道を歩み続ける人はいる。一色(ひといろ)に染まることを拒む考えや行動は、豊かな社会をつくり、またその証しともなる。時にはあらがい、流されない人たちを取り上げる。


こう書けば、かっこいいが、
要は「奇人・変人・こだわり人間」ってことなんだろう(^○^) ま、いいか。
記者がわが家を訪問、いろいろ聞かれ、写真も撮られた…(+_+)
朝日新聞の購読数は金沢市と周辺で1万ちょっと。 だから、ほとんど誰も知らない。
というワケで、8月9日に掲載されたのであった。
題して、
――「寸鉄」を追及 川柳から情報公開へ ――

事実関係で少々誤解があるのだが、事前にチェックできないから、仕方がない。
せめて本ホームページ紹介があれば良かったのに…とボヤいている。金沢支局のホームページから見ることができるので紹介しておきます。 (こちらからどうぞ)
ということで、真夏のお騒がせ情報でした。



---- 渡辺 寛/2002.7.27 -----------------------

真夏となりました。当地金沢市の郊外も真夏。
鬼門からのメッセージに書こうと思っているのだが、「森の都 金沢」は、「ビルの町 カナザワ」になってしまった。
昔から鬱そうとしていた寺社林はほとんどなく、痕跡だけ。
観光用に町の一角だけが見てくれだけのケヤキなどが植えられている。
わが町にも樹齢数百年のケヤキがある。
この大樹、持ち主さんの意向で、ほとんど三分の一に切られてしまった。
近所に、25m級の大きなイチョウが2本あったのだが、これは2本ともなくなった。
わが町のあちこちを回ってみるが、樹木を大切にしているなあ、という家が少ない。
だから、昔に比べて、町の気温が高い。
これは、郵便配達のお兄ちゃんが言っていた。
「昔は、北間町に入るとヒンヤリしたけどねえ……」って。

樹木と言えば、兼六園。
兼六園は、相変わらず古木だけを守ろうと、農薬漬け。
例年、6月の百万石まつり前には兼六園を無料開放しているのだが、
今年発覚したのが、この開放の前日、兼六園全体を薬漬けにしたのだ。
市民団体の指摘でも、公園緑地課の木村課長は当然だと反省はなし。

全国の有名な庭園・公園の古木管理を調べてられている方がいる。
その方の話では、他の有名庭園では、農薬散布は原則として行わない。
使うこともあるが、かなり限定使用だとのこと。
兼六園と農薬使用量を比べるとおそらく極端な桁違いに少ないだろうという。
兼六園の場合は、何が何でも薬で守る、ということらしい。
「薬漬けの兼六園」を見てもらい、管理の完璧さを誇りたいのだろう。

鬼門からのメッセージに載せた、
「金沢人はなぜはっきりものを言わないのか?」を
金沢で発行されている、VIEWという冊子に載せてもらったところ、
あちこちから反応が寄せられた。
「先祖があの事件で切腹した。その意味が分かった」
「不思議に思っていた風土の謎が解けた」
「金沢って、イヤになるわねェ〜」
などなどたくさん。
これを読んだ某新聞の記者、一度訪ねてお聞きしたい、って。
さて、どういう展開になるか?
次回のお楽しみ……(^○^)


--------渡辺 寛/2002.6.20-----------------------

サッカーワールドカップが始まって、
本ホームページも手薄になっていました。
ニッポン残念。韓国に期待。

東京に住む娘情報――。
こんど、女性雑誌「non-no」の読者プレゼントが
ユニクロと提携したTシャツ。
そのTシャツにイラストを書くのだそうです。
6月20日発売の「non-no」に詳細が発表になるそうです。
描くのは「猫」。「non-no」を買って応募しましょう(^○^)
単なる親バカ……(+_+)

もう一人の娘からもメールがやってきた。
父の日のプレゼント送るからね、って。
年に一度、娘から「父」と呼ばれるのは、妙に落ちつかないが、
楽しみにプレゼントの届くのを待とう。
その娘、オリーブオイルで石鹸を作っているとか……。
苛性ソーダは危ないぞ、って返信した。
化け学出身だから、実験で手慣れているのに、
これも、親バカの証明だね。

同じく東京に住む、息子からは、何の連絡もない。
どうしているのやら……。
自分の独身時代を考えてみる。
名古屋にいたが、親に手紙を書いたこともなかったなあ。
「この親にしてこの子あり」とはよく言ったもの。

ばあちゃんは元気で、車椅子を使ってバリアフリーのわが家を動いているけど、
だんだん食が細くなっている。
「何を食べたい?」って聞いても「いらない」。
献立係は大変だ。

ピノママのページを見た名古屋の方から、ピノママにメール。
「名古屋に出張教室できませんか?」って。
ビックリのピノママ。
「出張出来ないことはないけど、地元で教室を捜した方が簡単ね」
で、いろいろインターネットで検索して、名古屋の情報を送ってました。
その方、うまく見つけられたのでしょうか?

ところで、ワールドカップが始まる前に決着をつけたいと思っていたのが、
「潅漑期の現在、兼六園が水を使っているのは違法ではないか?」という疑問だった。
大急ぎで質問状にまとめ、5月25日河川課を訪ね、手渡した。
詳しくは、「辰巳用水辰巳ダム」のベージにまとめました。
水利権なんてちょっと難しそうな言葉ですが、
「水は勝手に使ってはいけません。ルールがあるのです」という
ごく生活に密着したことなんです。
飲み水の水道や、用水を流れる農業の水。
あちらこちらの工業団地で使う水もそう。
こうした整備に莫大な税金が使われ、水道料などに跳ね返ります。
正当につかわれていれば何も問題はないのですが、
開発されても全く使われていなければ、投入した税金は無駄。
一番大きい話が、金沢市が昔、犀川ダムで開発した工業用水。
ずっと昔に工業団地の計画もなくなっている。
「犀川上流に辰巳ダム一個分が空いている…!」
この解明が、辰巳ダムを止めるかもしれない。



--------- 2002.5.10 -----------------------
ホームページを公開して、ちょうど4カ月。
家の雑然としていた書棚や部屋を整理する感じで、少しずつまとめていった。
人生長く生きていると、膨大な資料に囲まれてしまう。
役に立つのもあるが、ほとんどは、ゴミ状態。
このホームページ作りは、自分自身と部屋を整理する快感がある。
反面、「なんとまあ、頭の中は雑然としているのか!」と驚く。
興味の対象があちこちに飛び回っているのだ。
まだまだ頭の引き出しの中は、材料がいっぱい詰まっている。
ただ、思いだけを載せても意味がなく、IT環境のゴミになるだけ。
整理して資料として掲載するには、それなりの労力が必要だ。
長年追究しているテーマもある。

という訳で、まだまだ、会と自分がごっちゃになっていますが、
以上、4カ月のご報告です。
ご批判、ご意見をお願いいたします。


-------------- 2002.4.8 -----------------------

1000番目のお客さんは、福岡の女性のお客様。
餃子大好きの方でした。「望むとかなえられる…」と。
栗原智昭さんのホームページでナギの会を知ったそうで訪問。
さて、80個の餃子を作らなくっちゃ。
****
先日、TreeTreeというグループが世話になっている、河内村の植林整備地の様子を見に行った。
5月からの最終整備もできそうである。
ついでに、直海谷川支流の板尾谷へ足を伸ばす。
景勝地の不動滝上流へ登る。久しぶりの「登山」。
野生のワサビを戴いてきたが、不動滝頂上部周辺の地形の様子を観察した。
滝のほんの腋まで、採石場現場がのびている。
山をえぐりとるのだが、ほとんど垂直状に切り取られ、その頂上部に滝の上流が載っている状態。
地震や洪水で一挙に崩壊することはないのか?
この谷の下流に板尾の集落がある。
崩壊すると、恐らく集落は全滅だ。
これは、河川管理者に伝えておこう。
手取川だから、国になるが、採石の許可は県が出しているから、まずは県へ。
  ****
「鬼門からのメッセージ」で紹介した、10の話題。
それぞれ、のんびりと資料を集め始めました。
「マロニエ並木」……市へ、昔の計画書を請求。
「大野川」……県土地開発公社へ貸借関係のわかる資料を近く請求。
「サギのコロニー」……芽生え始めたカワヤナギに残された巣を調べ始めた。
「エノキは残った」……ちょとした感動物語になる。関係者から資料をいただく。
「ひょうたん池追想」……合併して学校の名称が変わり、池は数年前に壊された。
「減歩の話」……市から、かなりの量の資料を入手。検討が大変だ。
「全国の都市の形」……昔、調べたことがあり、ホコリをかぶった本を捜す。
「金沢人はなぜ」……古文書の世界は大変だが面白い。県民性は歴史に秘められている。
  ****
「金沢人…」の話を読んだ、偉い先生(郷里が会津)からメールをいただいた。
会津は、幕末維新後、徳川幕府の本拠とされ、新政府からずっと差別され続け、
政府に対する怨念のような県民性にあるとのこと。納得。
  ****
こうしてホームページを更新していくと、
このホームページづくりの世界は、自分史をまとめる気分である。
自分史が遺言にならないよう健康に気をつけよう。



--------- 2002.3.22 -----------------------

 龍さん餃子のページをまとめたついでに、「餃子プレゼント」を載せたら、
あちこちからメールが届き、「1000をゲットするぞ……」と。
軽い気持ちで載せたのだけど、どうなることやら。
  ****
Yahoo! Japanで「ナギの会」が検索できるようになりました。
  ****
ツバメ情報、あるミニコミ誌から、「ホームページが見られる人が少ないので載せたい」との話。
ツバメより、鬼門の「10」がおすすめって言ってるのですけどね。
知事選が終了し、「天下り知事」って一般新聞でも書かれているので、初代石川県知事・前田慶寧の話がおもしろいかな、と。
  ****
河北潟問題がナギの会スタートの原点にあります。
昔の資料の一部を整理して掲載しました。
批判の対象となった方の実名は控えようかと思いましたが、当時一般新聞でもこの「内紛劇」は大きく報道されたので、正確を期すため詳細に載せました。
外務省の昔のメモみたいな話ですが、こうしたことを全く知らない方々もおられるので、少しずつではなく、全面公開としました。
まだまだたくさんありますが、かなりプライベイトなものが含まれていますので、この「原罪」の資料公開は、これで打ち止め。
  ****
イラストレーターをやっている長女がスノーボードで腰を骨折。
1カ月入院し最近退院しました。
仕事が混んでるようで心配。
「話題のTシャツ」のデザインをするとのこと。
元気なメールが届きました。
といっても私ではなくピノママへ。


----------- 2002.3.8 -----------------------

ホームページを立ち上げてから2カ月になります。
最初に予定したファイルを少しずつまとめて載せていますが、
何しろ昔まとめたファイルを掲載用に整理していると、
資料の再確認が必要になることも多く、手間どります。
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4月からミズアオイの定点写真を掲載します。
場所は北間町と兼六園放生池。
1週間程度の間隔で写真を載せます。
****
季節の話題では、かわいいツバメの話。
この話を、某小学校の先生にお伝えしたところ、
「面白いですね。子どもたちにも話を聞かせたい」と言われました。
金沢市の中心部などでは、ツバメ調査をする小学生が少なくなり、
一部に空白地域が出てくる可能性があるのだそうです。
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高知県の四万十川情報を発信しているサイトがあります。
四国のツバメ飛来情報をお願いしました。
桜前線は高知県が日本で一番早い。
ここのツバメ情報は金沢市とどれだけの日数差があるか、興味があります。
私の予想は2日。さてどうなるか?
****
「★鬼門からのメッセージ」のコーナーをつくりました。
目次にとらわれず、日頃から心に引っかかっていることを載せていきます。
とりあえず、10のテーマが浮かびました。
それぞれが、かなり重い内容です。
超重量級の話に耳を傾けて下さい。
資料集めや取材付きです。乞御期待。
****
あれこれ考えていると、プライベイトルームの話題が遅くなっています。
猫大好きの友人から、
「難しい話はいいから、早く猫ちゃんを載せてよ」
って言われています(^○^)


-------------- 2002.2.20 -----------------------

カミさんと娘たちのページをつくりました。
軽くするため画像は最小限にした。見てやって下さい。
……
遠くの知人から次のメール。
―― 見せていただきました。ミズアオイの花は良いですね。――
―― 金沢の良心のHP楽しみました。――
―― 今までの活動の軌跡にとても興味と親近感を抱きました。――
―― 今後の充実を楽しみにしています。――
……
「情報公開」と「辰巳ダム・辰巳用水」のページは、
かなりのボリュームになりました。
まだ資料整理と検討はつづきます。現在の倍にはなるでしょう。
「河川法と水利権のすべてを検索できるホームページ」
に、したいなと思っているのですけれど。
ホームページ全体が「会」と「個人」がごっちゃになっていますが、
そのうちにきちんと分けて整理します。
辰巳ダムからとんでもない世界に足を踏み入れてしまった。
「他人のコピー情報」だけで済ませているホームページが多い中、
本ホームページは個性豊か?で、社会の役にたつかな、と自己満足しています。

苦労して発見した「自分だけしか知らない真実」を抱えていると、
奇妙に気分のいいものです。「爆弾」かもしれないけどね。
自爆しないよう、慎重に進めていきます。
……
「情報公開審査会」の異議申立審議もそろそろ最終段階です。
そろそろ意見聴取の連絡があるはずです。
ないかもしれない。
……
近況です。
河北潟近くに大きな材木が積んである。
太鼓が作れそうな大木であるが、かなり朽ちている。
割れやフシなどで、売却できず半ば放置されたもの。
年月が経ち、腐りが進んでいる。
この一部をマキ用にもらうことにした。
先日、チェーンソー片手に挑戦した。
ヒノキ、クリ、マツ……いろいろある。
驚いたことに、クリは堅く、歯を当てると火花を出す。
クリの木は腐らず、ずっしりと重い。
縄文時代の遺構からから出てくる木材の多くはクリ材だ。
チカモリ遺跡の柱や鉄道の枕木もクリ。
木材と格闘しながら、冬の我が家は一日中マキストーブで暖かい。
……
昨日、ギョーザをつくりました。
このホームページ用の写真を撮りながら作った。
半日かかってしまった。近日中に載せます。


----- ver.2.3(2002)2.1-----------------------

旧正月、おめでとうございます。

ホームページを立ち上げ、知人におそるおそる紹介した。
資料を整理しきれず、未完成という思いもあった。
まあ、順次充実させていけばいいとあきらめた。

資料はハードディスクの中で整理してあったが、
それぞれが関連した問題で、なかなかホームページ用にはならない。
昔のデータを未整理のまま「生」で載せたものもあった。
それはそれで、当時の臨場感があってよいのかもしれない。

半月あまりを過ぎ、リンクの承諾依頼もあり、200以上の方が訪ねられた。
当初のイメージでの完成まで、まだ先なのですが、乞うご期待です。

おわかりでしょうが、かなり専門的な資料がいっぱいです。
「役に立つホームページ」と謳ってみたけれど、私の問題意識もあり、ご容赦いただきたい。

プライベイトルームや他グループ紹介は、「遊び心」いっぱいの情報が載る予定です。
早く、と思っているのですが、もうちょっと待って下さい。

春はまだまだ先。金沢は曇りと雪が80%。
時々見せる太陽を背に、薪(マキ)の整理です。
我が家は薪ストーブ。
昨年、冬準備をさぼっていた。
暑い季節にせっせと冬支度をするアリさんを横目で見ていた。
まるでキリギリス状態。集めた薪をナタで格闘です。

ではメールなど、お待ちしています。

2002.2.1   渡辺 寛


---------- ver.1.1 (2002)1.20-----------------------

ここまでたどり着いた方々、お疲れさまでした。
まずは、顔を晒して…、っと(+_+)


旧知の皆さまへ。
最近2、3年は、年賀状も出さず、失礼しています。
例年、年賀状は用意するのですが、年末になると決まってトラブルに巻き込まれ(?)、
「年が明けて書こう」なんて思っていると、餅とミカンに邪魔されて(^_-)書きそびれ。
今年は、「ホームページを作って、年賀状に紹介するぞ…」と一念発起した。
ホームページを作るなら役に立つものを…と、
資料の整理を始めたら、ハードディスクに十年溜まったゴミの山。
どんどん日数が経ってしまった。
とうとう年賀状も机の上に載ったまま。
最初の構想から見ると、達成率は数パーセント。
ハードディスクの膨大な資料と格闘しています。
 ―――
とまあ、こうして元気にしています。
このプライベイトルームまで来られた旧知の方、
この顔も、昔とはずいぶんひねていますが、
まあ、「としソーオー」ってことなんでしょう(^_-)
 ―――
メールなど送ってくださいマセ。
積もり積もった話はその時に……。

2002.1.15
渡辺 寛