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素朴な疑問を初公表
2005.1.31追記
以下の文章は、犀川から取水される水利権申請資料を調べていて、アレ?と不思議に感じた素朴な疑問の数々である。
金沢で発行されているミニコミ誌「VIEW」に書いた。(2001.2.20)
・辰巳用水から導水されている兼六園の水の法的根拠はなにか?
・金沢市の工業用水は破棄されるべきものではないのか?
などの素朴な疑問を初めて公表したものである。
当時、まだ水利権について初歩的な理解で資料も少なかった。
こうした疑問をもとに調べ、後日、石川県への公開質問としてまとめた。
その後の経過は、本ホームページ「情報公開ものがたり」の項に詳しく紹介した。また、中登史紀氏が独自に金沢市の工業用水問題を調べ、市長へ住民監査請求をおこなった。この詳細は、中氏のホームページを参照のこと。
兼六園の水や辰巳用水の水利権などに初めて問題提起したという意味で、この文章は私にとって、記念すべき可愛い文章(ファイル)である(^Q^) 【寛】
(その後,、この疑問をきっかけに石川県への公開質問などで県河川課の担当者と熱い議論を交わす中、2004年、石川県は金沢市長に対して工業用水の水利権返上の申し入れを行い、金沢市は専門家による検討会を設置し、将来も使う見込みのない工業用水の水利権を返上する結論を出した。これは一市民の疑問から出発した正論が、公共事業という巨大な壁の一角を崩しうることを証明したことでもある。=自画自賛=
ヽ(^。^)ノバンザイ 2005.1.31追記)
2001.2.20
■兼六園の水はどういう権利?(渡辺
寛)
最近、辰巳ダムに関連して犀川から取水している農業用水の資料を見ていて、おもしろいことを発見した。
その一。
兼六園の曲水に流れ込んでいる水はどういう権利に基づいているのか。兼六園管理事務所の所長に聞いても分からないとの答え。調べてみる価値がありそうだ。
まず辰巳用水を管理する土地改良区の水利権を調べた。許可条件の一項に「灌漑期以外は兼六園への引用水として取水する」とある。これが唯一の根拠なのだ。農業用水からのサービスだった。しかも潅漑期以外とある。それでは桜満開のころの兼六園の水はどうなのか。そもそも法的な根拠はあるだろうか?
私の考えは後述しよう。
その二。
犀川大橋の下流50m右岸に大野庄用水の取水口がある。この取水口は金沢市の工業用水の取水口を兼ね、その水利権は金沢市が持っている。しかしこの工業用水は今まで取水されたことがない。どういう事情があったのか。金沢市企業局を訪ねた。
昭和40年に完成した犀川ダムで、水道水とともに工業用水を確保したものだという。まてよ、森本に新しく工業団地が完成し、将来も犀川から取水することはないはずだ。典型的な遊休水利権であり、河川法上、県は許可取り消しをしなければならないものである。
もう一つ大問題が発生しているのを知ることになる。
水道水や工業用水を溜めるためダムを大きく作ってあり、計画時に費用分担(アロケーション)をしている。工業用水の分は回収できない。誰が負担するのか。
これらは、全く新しい発見である。
その三。
ある用水を更新許可ごとに書き出してみて驚いた。
取水量:0.034 t/秒(初年度の許可量)
0.034 t/分(51年10月更新)
0.034 t/日(61年3月更新)
60×60×24=86400 単位が違うことで、86400分の1になってしまっている。一日にバケツ一杯の水とは……。明らかに申請側と認可側のなれ合いが生んだミスだと想像できるのだ。こういうミスが水利権という許認可事務で起きている。
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「その一」の兼六園の水の根拠について考えてみた。サービスなんてどこかおかしい。取水する限り権利はあるはずだ。
水利権について専門書を調べてみると、許可水利権と慣行水利権という用語が出てくる。慣行水利権は古代から延々と、時には血を流し死人をも出した水争いを経て慣行として定着してきた水の利用権のことである。
明治に入って、国家は近代法の整備を進めるなかで、こうした自治的な慣行権を取り上げ、許可制に切り替えてきた。これが許可水利権である。しかし慣行も法であって拘束力を持つことは民法にも明記されている。
兼六園の水は農業に利用されるずっと前から殿様用水として取水され続けているから、法的には慣行による専用権であって、辰巳用水土地改良区の水利権は余水利用権である。水利権をきちんと理解するとこの解釈以外にない。
こうした水利権についての理解が県にも兼六園管理事務所にもなく、現在のように上位と下位が逆転した誤った表現が残されたのだ。
慣行水利権の法的な熟成は、水争いと切り離せない。
石川県でも、例えば手取川七ケ用水で江戸時代に数々記録されている。インターネットで検索すると二百件近い事例がヒットする。中世以後、現代まで水争いが絶えないのだ。和歌山県の紀ノ川支流・水無川の例は、朝廷をも巻き込んで実に二百年以上も争われ、中世史の研究に欠かすことができないという。
中世の水争いは各地で「ケンカまつり」として抽象的に残されているが、現在の水争いは、公共事業をめぐって市民と公権力との間で、血こそ流さないが、激烈に進んでいる。
「辰巳ダムの本当のことを知りたい」という、素朴な発想で始めた公文書請求・資料調査であるが、次第に大ごとになってきた。そろそろまとめに入らなければいけない時期に来た。さて、そのまとめとは……。(2001.2.20)
【参考資料】
「農業水利権の研究」(渡辺洋三著・1954) は、水争いについての膨大な江戸〜明治の裁判の裁定・判決を検討し、農業水利権の発生、性格、公権力の介入と収奪についての研究書。(◆こちらに紹介)
「水の法と社会」(森實著・1990) は、農業水利権の解体と統一的水法の展望を解説。(◆こちらに紹介)
いずれも県立図書館にある。時々インターネット古書店で見かける。
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