2002.10.13
「先祖が作った道頓堀を返せ」
「三田用水を組合に返せ」

江戸時代の二つの用水の所有権をめぐる裁判
慣行水利権や江戸期の農業用水の所有権を考える必見資料

 以下に紹介する資料は、大阪・道頓堀と東京・三田用水の所有権をめぐって、最近まで争われていた、裁判の判決の全文である。まず二つの裁判の概要を紹介する(後段に判決文)。
 これらの裁判は、江戸時代の所有権が現在も有効か? 慣行水利権と用水底地の所有権、目的を失った後の慣行水利権はどうなるのか? そもそも所有権とはなにか? 法律が整備される前に所有という概念はあったのか? ……等々、法律専門家からも注目された裁判である。

道頓堀裁判とは……。
 道頓堀裁判とは、先祖の安井市右(道頓と号す)が豊臣秀吉から開発を許され、大阪城壕を掘さくした功労に対する賞として本件を含む城南の地を拝領し、所有権を得たものとして、子孫が、所有権は現在でも有効であるとして、訴えたもの。『先祖の開発成果は子孫のものか?……大阪道頓堀裁判』として有名なものだ。
 昭和51(1976)年10月19日に判決が出された。もし原告が勝訴し、道頓堀川を埋め立てれば、「2600億円を超える」と新聞タネにもなった。裁判は昭和40(1965)年1月4日、大阪地方裁判所に提起され、10年半かかっている。
 争点は、
 @安井氏は道頓堀川の河川敷地に所有権をもっていたのか?
 A江戸時代を通じて、安井氏の道頓堀川に対する関りあい方は、所有権に基ずく権力行使であったか?
 B江戸時代の土地に対する関りあい方は、明治以降の土地所有権制度とどう繋がるか? という3つが争点となりました。
【判決の結論】----------------
 道頓堀川は原告の先祖の努力により開削され、今日の道頓堀繁栄の基礎を築いた原告の先祖の功績はまことに多大である。
 しかし、このことと河川敷地の所有権の帰属とは別個の問題であり、本件証拠を検討してみても、原告らが現在本件河川敷地の所有権を有するものとは認める事はできない。よって原告らの請求はいずれも棄却する、としたものだ。

三田用水事件とは……。
 三田用水事件とは、三田用水普通水利組合が管理所有していた用水が、農地がなくなり、用水の敷地は道路や公園に替わっているが、この土地の所有権は三田用水の組合にあるとして所有権確認の裁判を提起した。
 争点は、
@潅漑の目的がなくなった以後も用水組合は存続しているか否か。
Aもともと組合に所有権はあったのかどうか。
Bかんがい目的が喪失した後、雑用、工業用水で組合が管理。継承は正当か。
【最高裁判決の結論】---------------
 原判決は、本件土地は、民有地すなわち三田用水組合の所有となつたものと認めるとしているが、かんがい排水事業を廃止したにもかかわらず、用水路及び流水を操作していたものは、三田用水を僣称する数人の個人に過ぎない。当事者能力を有しない。かりに、当事者能力を有するとしても、本来の三田用水の承継人ではないから、請求は棄却さるべき。

 高裁の判決は原告勝訴のようである。この判決は入手していないから分からないが、最高裁判決から推定はできる。

 まあ、この二つの裁判の判決文を読むには大変根気がいるが、要は、江戸時代の「所有」という概念と、明治初期に法が整備されていくの中での概念の関係や、この狭間で、現実の所有がどうなっているかが争われている。
なお、用水や水利権が法律としてどう整備されていったかは、別ファイルの「法整備の歴史と辰巳用水」を参照下さい(これは価値ある資料である=自画自賛(^○^)。

 この所有権の成立をめぐって、3つの説があるらしい。
@創設説(官民有区分及び下戻処分に関する形成的効果説)
 この説、近世まで近代的所有権と同一視し得る権利は存在しなかった、というのだ。所有権は明治政府の立法として創設され、処分等によって近代土地所有の効果が出来た。これらの処分から漏れた土地は、すべて国有だ、という説である。
判例、学説上の多数説だそうだ。
A自然決定説(官民有区分及び下戻処分に関する確認的効果説)
 近世まで近代的所有権と同一視し得る権利は存在せず、明治政府の立法施策として創設された。ここまでは前説と同様である。所有権は明治に入り、諸法令によって、それまで存在していた権利の一部が所有権に高められ、現在の所有権に近い権利を有していた者については、当然に所有権が認められる、という説だ。明治の処分などはその確認をしただけだという。判例、学説上少数であるが、有力な見解だそうである。三田用水事件の判決はこの説を採っているという。
B既存説
 近世でも、近代的土地所有権と同様の権利が存在した。明治以降はその権利がそのまま所有権と呼ばれるようになっただけだ、という説である。かっては有力説であったが現在は判例、学説上も少数だとのことである。
 常識としてこの説は分かりやすい。創設説のように法が整備されてから所有権ができたなんて、法律解釈は上から与えるものという感じで納得できないぞ。「オレのもの」という意識は、江戸時代も今も変わらないだろうに。

辰巳用水の場合はどうか?

 360年前から慣行的使用のもとにある辰巳用水の所有権をどう考えればいいのか?
 辰巳用水をめぐっては、これまで、文化財的側面と兼六園や金沢市内への取水の側面から議論が行われてきたが、今回のナギの会の問題提起は、辰巳用水という利水施設としての所有権は誰にあるのか? という初の問題提起だった。この辰巳用水は辰巳ダム建設で破壊される。これまで、県の担当者と意見交換をした中でも、「辰巳用水の所有権は不明」との説明だった。民法に次の規定がある。
 第252条(無主物の帰属)
 @無主の動産を所有の意思で占有した者は、その所有権を取得する。
 A無主の不動産は、国有とする。
 B野生する動物は、無主物とし、飼育する野生動物も再び野生状態にもどれば、無主物とする。

 つまり、一般に所有権が明確でなく、権利を主張するものがいない場合、無主の状態にあるならば、それは国有ということになる。
 辰巳用水は無主物と言えるかどうか? 今は誰も公に所有権を主張しているのを聞いたことがない。しかし、辰巳ダムの工事が始まると、主張するかもしれない。当事者になる人々の何人かは、頭の中に浮かぶ。なるほど……、フムフムと思う。
 いずれにしろ、壊す対象の所有権を法律的に明確にされる必要があるのではないか? この整理をしなければ、辰巳ダムの計画を進めることが出来ないのではないか? と思う。
 また、所有権とは違うが、辰巳用水の水の利用する権利(=水利権)について、これまで黙っていた関係者が、「俺も権利があるぞ! 同意なしに壊すのは違法だ!」と名乗り出るかもしれない。慣行水利権なんて誰も知らないのだから、知った権利者が次々に名乗り出ることがあるかもしれない。
 詳しくは知らないが、養魚場や釣り人などもいるだろう。あるいは料亭の女将が「辰巳用水の水で商売をやってきました。これは違法ではないですか?」と、記者会見に和服姿で現れようなら、大変なニュースになる(^○^)

 水利権の問題も、この所有権という問題も、現実に用水がどう使われているかの実態調査を経なければ、なかなか分からない問題である。法律書や書面だけを熟読玩味していても不十分なのがこの世界である。
 破壊対象の所有権や水利権の「権利」を調査せず、不明のまま、破壊していいはずがない。今の石川県の水利行政は、まだまだ初歩の段階である。利水や治水を論じるには10年早い。「緊急避難的に工事を進める」程度の雑なものだ。

 
道頓堀裁判の判決文はこちら 大阪地裁の判決(昭和51年)
 三田用水事件の判決文はこちら 
最高裁の原審破棄の判決(昭和40年)


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