2002.10.13
三田用水事件 最高裁判決
最高裁で2つの判決があったが、本体となる1件を紹介する。

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土地所有権確認等請求上告事件
最高裁第一小法廷 昭和四二年(オ)第一二四七号
昭和四四年一二月一八日判決
(上告人)国
代理人 古館清吾 外二名
(被上告人)三田用水普通水利組合

       主   文

本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。

       理   由

 上告人国指定代理人青木義人名義、同真鍋薫名義、同古館清吾の上告理由第一点および第二点について
 原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)は、明治初年の頃、土地について近代的所有権が成立し、官有、民有の区分がなされた際、水路敷である本件土地に対し明らかに具体的支配権を有していたのは被上告人組合の前身である三田用水組合のみであり、原判決の官、民有区分の基準に照らせば、本件土地は、民有地すなわち三田用水組合の所有となつたものと認めるのが相当である旨判示しているが、原審の右認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足りる。論旨は、ひつきよう、官、民有区分の基準に関して右と異なる見解を展開するか、原審が適法にした証拠の取捨判断、事実の認定を非難するに帰するものである。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

 同第三点について
 明治初年の頃、三田用水組合が本件土地の所有権を取得した旨の原審の認定判断が是認できることは、右に説示したとおりであり、かようにして本件土地が被上告人組合の所有に属するものである以上、被上告人組合が、国有土地森林原野下戻法(以下、下戻法という。)に基づいて下戻申請をしなかつたとの一事により、本件土地の所有権を失つたり、右所有権を主張できなくなつたりするものでないことは、原判示の同法の立法趣旨に照らして明らかである。これと同趣旨の原審の判断は正当である。所論は、地券の交付がなかつた土地または民有たることの認定行為のなかつた土地は、民有であることを否定されたものであつて、かような土地について国民が所有権を主張するためには、最終的に、下戻法に基づく下戻申請によるほかはなかつた旨主張するが、すでにその前提において失当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は採ることができない。
 同第四点および上告人補助参加人代理人佐生英吉、同鎌田英次、同中村登音夫名義、同桧垣元一、同高橋三郎、同野村昌彦の上告理由第一点ないし第三点について。
 所論は、被上告人組合が潅漑の目的の消滅によつて当然解散したものと解すべきであるとの見解に立つて、鏑木忠正には本訴を提起する権限がない旨および被上告人組合には当事者能力がない旨等を主張する。
 しかし、原判決の認定した事実関係のもとにおいては、被上告人組合は、昭和初年に組合区域が全部宅地化され、三田用水が潅漑の用途に使用されることがなくなつた頃解散したものとみるべきではなく、土地改良法施行法九条、二条の規定により、昭和二七年八月三日にいたつて解散したものである旨の原審の判断は、是認することができる。したがつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判官 入江俊郎 長部謹吾 松田二郎 岩田誠 大隅健一郎)

上告理由
 原判決には理由不備ないし判決の結果に影響をおよぼす法令の解釈適用を誤つた違法がある。

第一点 原判決は、入会地についての官民有区分の一基準である明治八年六月二二日地租改正事務局達乙第三号「山林原野池溝等官民有区別更定調方」、同八年七月八日地租改正事務局議定「地所処分仮規則」、同九年一月二九日地租改正事務局議定「昨八年当局乙第三号同十一号達ニ付山林原野等官民所有区別処分派出官員心得書」を適用して本件土地を三田用水組合の所有地と認定されたのであるが、同法令によつて村の入会地が村の所有とされるためには、少くとも、村が同地を積年支配進退して来たという慣行と、村自身が同地を村持であると唱えて来たことが必要であるところ、本件土地は公水路敷であつて、本件水路の流水使用権を有していたにすぎない三田用水組合が同流水の利用に付随して本件土地を単に支配進退していたのみであつて、同組合において、決して公水路敷である本件土地までも同組合持と唱えて来た事実はないのであるから、原判決には右法令の解釈適用を誤つたか、あるいは理由不備の違法がある。
 以下詳述する。
 右明治八年六月二二日地租改正事務局達乙第三号、同年七月八日「地所処分仮規則」第三章第一条、および同九年一月二九日地租改正事務局議定が、明治政府によつて明治初年に実施された地租改正の過程における入会地たる山林、原野等についての官民有区分の一基準であつたことは原判決の判示するとおりである。
 ところで、右入会地の官民有区分の基準については、右明治八年六月二二日地租改正事務局達乙第三号では、
「各地方山林原野池溝等(有税無税ニ拘ラス)官民有区別之儀ハ証拠トスヘキ書類有之者ハ勿論区別判然可致候共従来数村入会又ハ一村持某々数人持等積年慣行存在シ比隣郡村ニ於モ其所ニ限リ進退致来候ニ無相達旨保証致シ候地所ハ仮令簿冊ニ明記無之共其慣行ヲ以民有之確証ト視認シ是ヲ民有地ニ編入候儀ト可相心得尚疑似ニ渉候モノハ其事由ヲ詳記可伺出」と定め、また
右明治八年七月八日地租改正事務局議定「地所処分仮規則」第三章第一条では、
「山林原野等簿冊ニ明記アルモノハ勿論従来甲乙村入会等ノ証跡アルモノハ民有地トシ其証跡ナキモノハ官有地第三種ト定メ内務省ノ処分ニ帰スヘシ但証跡ハ本局乙第三号達ニ準拠スヘシ」と定め、次いで明治八年一二月二四日地租改正事務局達乙第一一号では、
「乙第三号達之趣ハ従来之成跡上ニ於テ所有スヘキ道理アルモノヲ民有ト可定トノ儀ニテ啻ニ薪秣刈伐或者従前秣永山永下草銭冥加永等納来候習慣アルモノヲ概シテ民有ノ証トハ難視認ニ付如斯ノ類ハ原由慣行等篤ト取調経伺ノ上処分可致」と定めていたのであるが、これらの基準は、明治九年一月二九日地租改正事務局議定「昨八年当局乙第三号同十一号達ニ付山林原野等官民所有区別処分派出官員心得書」によつて取りまとめられ、さらに詳細に規定されるに至つたので、右心得書は、じ後改租担当官の入会地たる山林原野等についての官民有区分の基準ないし準則となつた(福島正夫「地租改正の研究」六〇九ないし六一三頁参照)。
すなわち、右心得書では、
「第一条 旧領主地頭ニ於テ既ニ某村ト定メ官簿又ハ村簿ノ内公証トスヘキ書類ニ記載アル分ハ勿論口碑ト雖モ樹木草茅等其村ニテ自由ニシ何村持ト唱来リシコトヲ比隣郡村ニ於テモ瞭知シ遺証ニ代テ保証スルカ如キ山野ノ類ハ旧慣ノ通其村持ト定メ民有地第二種ヘ編入スヘシ但一旦官林帳ヘ編入セシ分ハ此限ニアラス
第二条 従来村山林ト唱ヘ樹木植付或ハ焼払等其村所有地ノ如ク進退致来ル分ハ他ノ普通其地ヲ所用シテ天生ノ草木等伐刈シ来ルモノト異ナル類ハ従前租税ノ有無ト簿冊ノ記否トニ拘ラス前顕ノ成跡ヲ視認シ民有地ト定ムヘシ但一隅ヲ以テ全山ヲ併有スルコトヲ得ス
第三条 従前秣永山永下草銭冥加永等ヲ納ムルモ曾テ培養ノ労費ナク全ク自然生ノ草木ヲ採伐シ来タルノミナルモノハ其地盤ヲ所有セシモノニ非ス故ニ右等ハ官有地ト定ムヘシ但其伐採ヲ止ムルトキハ忽チ差支ヲ生ス可キ分払下或ハ拝借地等ニナスハ内務省ノ管掌ニ付地方官ノ意見ニ任スヘシ」
等と定めていたのであるから、結局右諸法令によると、村の入会山林、原野等が村の所有地とされるためには、少くとも村で当該山林原野等を積年自由に支配進退して来たという慣行と、さらに、村自身が当該山林・原野等を村持と唱えて来たことが必要であつたというべきところ(中田薫「村及び入会の研究」三二五頁参照)、原判決もまた「入会地である山林、原野、溝等ついては、……一村または数村がその土地を自由に支配するとともに、積極的に管理してきた土地で、何村持とか村山、村林などと唱えて来たものは、租税の納付の有無、公簿の記載の存否にもかかわらず民有地とされたものである。」と判示され、同様に解されている。
 しかるに三田用水組合において、本件土地を同組合持と唱えて来た事実の毛頭存在していなかつたことは、原判決の「もつとも、本件土地については、それが水路敷地で除税地であるところから、……取引の対象となることが予想されない土地であり、かつ、一四ケ村の農民の団体が権利者であるところから、組合側の所有意識も薄かつたことが推測できる」という判示からも容易に推測される。
 ところで三田用水組合が本件土地を同組合持と唱えなかつた理由は簡単である。
 原判決も認定されている様に、徳川幕府が寛文四年に農民から本件土地を強制収用してその直轄工事によつて用水路を開設したのである。じ来本件土地は幕府持となり、かつ、除税地とされて来たのである。
 したがつて、享保九年に至つて、三田用水組合の構成員たる農民が、徳川幕府から右用水をかんがい用水として使用することを許された後も、本件土地は依然として除税地であつたために、右農民ないし同組合において、本件土地が同組合持になつたとは思いも及ばず、単に流水を使用させて貰つているという意識しかなかつたのである。
 そこで、仮に同組合において右用水の利用に付随して、右用水施設を修理するなどして本件土地を支配進退して来た事実があつたとしても、本件土地を同組合持と唱えなかつたのである。
 かように三田用水組合が本件土地を同組合持と唱えて来た事実がないにもかゝわらず、原判決は、単に「幕末に到つては、本件土地については三田用水組合は幕府からなんらの規制を受けることなく、自由に支配進退しこれを積極的に管理していたことが認められる。」と判示された。要するに三田用水組合が、公水路敷たる本件土地に対して、右流水の利用に付随して積年支配進退して来たという事実のみを認定し、同組合持と唱えて来た事実のあつたことを認定せずして慢然と、右明治八年六月二二日地租改正事務局達乙第三号、同八年七月八日「地所処分仮規則」および同九年一月二九日地租改正事務局議定を適用したうえ本件土地を三田用水組合の所有地と認定されているのである。したがつて、原判決には右法令の適用を誤つたか、あるいは理由不備の違法があるものというべきである。

第二点 原判決は、水路敷地である本件土地に対しても、入会地たる山林、原野等についての官民有区分の基準である前記明治八年六月二二日地租改正事務局達乙第三号、同八年七月八日「地所処分仮規則」および同九年一月二九日地租改正事務局議定を適用されたのであるが、明治政府は、地租改正事務局の指令によつて、水路敷地等公の利害に影響するような土地については、右法令の適用を排除しているのであるから、原判決には右法令の解釈適用を誤つた違法がある。

 以下詳述する。
 明治政府は、地租改正事業を遂行するために、明治八年三月、大蔵、内務両省間に地租改正事務局を設けたのであるが、この地租改正事務局は、「地租一切ノ事務ヲ管轄」(同局職制)し、「土地ノ広狭ヲ丈量シ、錯乱ヲ糺正シ、其名称ヲ区別シ、地価ヲ定メ地租ノ増減ヲ審按スル」(同局事務章程)(「明治初年地租改正基礎資料」上巻九頁以下参照)ことを要目とした。そこで同局では、明治八年五月二四日同局達乙一号により、各府県に対し、「郡村之経界ヲ更生シ土地ノ広狭ヲ丈量シ其所有ヲ定メ其名称ヲ区別シ地価ヲ定メ地券ヲ渡ス等地租改正ニ関スル伺届ノ申牒ハ直チニ当局ヘ可差出」旨を達し、各府県からの土地官民有区分に関する無数の伺に対して指令した。この地租改正事務局の指令は、改租実務上の指針となり、改租手続上、法規的な意義をもつた(福島、前掲書三一一頁、地租改正資料刊行会「明治初年地租改正基礎資料」上巻一三頁参照)。このように地租改正事務局の指令が改租手続上法規的意義をもち、官民有区分についての具体的基準、ないし準則であつたことは、たとえば、地租改正事務局の指令と同性質の指令である租税寮改正局の明治五年一一月三日の指令で、香川県からの租税寮改正局日報にのせられた指令の分はこれに照準して取計らつてよいか、というのに対し「申立之通」としており、また、地租改正事務局の明治九年一一月二八日の指令で、千葉県からの租税寮改正局の神奈川県に対する指令と同局の盤前県に対する指令との区別に関する伺いに対し、「盤前県へ指令之通、神奈川県指令之義ハ詮義之次第有之取消候事」としており、さらにはまた、椽(栃)木県から地租改正事務局に対する伺の中の「地租改正実地丈量着手ニ付テハ総テ御成規者勿論御局日報各県エ御指令之次第ニ照準取調居候得共差向処分方難決件々不少候ニ付左ニ箇条ヲ以相伺申候」との文言等(前掲「基礎資料」上巻八九頁、同中巻五六九頁、五九七頁参照)からも明らかというべきである。
 ところで地租改正事務局では、公の利害に影響するような土地の官民有区分については、たとえば旧敦賀県出張局員からの伺に対する明治九年九月二一日の回答において、
「道路堤塘ノ儀ハ人民一般公同ノ便ニ関スルモノニ付山野ノ類ト同一ノ処分難相成候条人民所有ノ権証有之改租以前ハ貢租ヲ弁納シ或ハ貢租ハ免セラルルモ他ヨリ作徳ノ弁償ヲ受候類ニテ人民持続度望ノモノハ民有ニ可定義ニ候得共所有ヲ不望モノハ直チニ官有ニ帰シ其他確証無之モノハ渾テ官有ニ可定義ト可相心得」(前掲「基礎資料」八四四頁参照)と指示する等して、山林、原野等についての基準である前記法令の適用を排除し、民有の確証のない土地、および、民有の確証があつても除税地は原則として官有地とすることを明らかにし、しかも右民有の「確証」としては民有地たることの「書証」が必要であるとしていたのである(中田、前掲書、三二七頁以下参照。)
 そしてさらに、本件土地のような水路敷地の官民有区分についても明治八年七月八日地租改正事務局議定「地所処分仮規則」第五章第一条では「耕地涵養ニ設クル溜池溝渠ハ其民有ノ確証アルモノハ民有地第三種ヘ編入シ……民有ノ証ナキモノハ官有地第三種ト定メ……」定めると共に、たとえば、
明治九年六月二四日の指令で、椽木県からの
「民有ノ用悪水路溜池敷堤敷及井溝敷ノ義右者従前有税ノ民有地ヲ数人或ハ一村及ヒ数村民力ヲ以テ鑿掘築造シ貢租弁納シ来ル類ハ今般改正ノ際総テ民有第三種トシ従前無税ニテ住古ヨリ在来普通ノ分又ハ中古ニシテ元有税地ト雖モ既ニ潰地引方相成候類ハ……其初設及ヒ修繕費ノ官民ヲ問ハス官有第三種ニ取調候義ト相心得可然哉但従前無税地天然ノ池沼ニテ其水持堤塘ノ労費無之ト雖トモ之ヲ進退需要スル慣行ノ証アルモ亦官有第三種トシ其進退需要ハ慣行ニ任セ可然哉」というのに対し「伺ノ通」とし(前掲「基礎資料」中巻七三一頁参照)、また
同九年七月六日の指令で、同じく椽木県からの「従前反取租法ノ因襲ニテ道路堤塘敷及溝渠溜井敷等既ニ地租免納相成候上ハ私有ノ権理ナキモノトナスニ似タルヲ以テ現今改租取調ノ際都テ右等ノ如キ分ニテ且他ノ弁償無之モノハ官有ト定候共敢テ苦情ハ有之問敷存候得共旧時私有ノ故証アルヲ以テ逸々所有地券ヲ発候次第ニテハ道堤渠溝比々私有ニ属可申依之処分方相伺候旨」というのに対し、
「道路堤塘溝渠溜井敷等旧来除税ノ分ハ官地ニ取調候義ト可相心得尤私有ノ確証有之現今モ猶其成跡ヲ有シ地主持続度情願有之モノハ其望ニ任セ券状不渡不苦候得共渾テ右類ノ地ハ所有主一般公同ノ便益ヲ妨ルヲ不得義ト可相心得事」とし(前掲「基礎資料」中巻七六四頁参照)、さらにまた、
同九年九月二十一日の指令で、岐阜県からの
 「道路堤塘溝渠溜井敷等従前貢租弁納致居改正ノ際除税致候分私有ノ確証有之地主持続度相望候分ハ無論無代価券状相渡民有地第二種へ編入可致儀ト相心得申候就テハ右同断敷地旧来除税ノ分ハ官有地ニ可取調儀ニ候得共其内私有ノ確証有之現今モ猶其成跡ヲ存シ地主持続度情願有之モノハ其望ニ任セ是又無代価券状下渡民有地第二種ニ致編入可然哉」
というのに対し、「伺之通」としている(前掲「基礎資料」中巻八四二頁参照)。
 したがつて、地租改正事務局のような指令によつて、本件土地のような水路敷地についての官民有区分については、民有の確証のない土地は、総て官有地第三種とされ、また民有の確証があつても除税地は原則として官有地第三種とされ、例外的に当該土地が従前民有地としての実績をあげており、しかも所有を続けたいと希望する場合にのみ民有地とする旨の具体的基準を定立され、山林原野等についての官民有区分の基準である前記諸法令の適用は明らかに排除されていたのである。しかるところ、本件土地は、寛文四年に徳川幕府の強制収用によつて幕府持となり、その直轄工事によつて開設された水路敷地であつて、その故に除税地とされたのであり、享保九年、三田用水組合員たる農民が幕府の許可をえて流水をかんがい用水として利用することとなり、そのために右水路の修繕等をして本件土地を使用管理して来たにすぎないから、本件土地が右農民ないし組合の所有であるとの確証もありえよう筈がない。
 されば本件土地は右地租改正事務局の指令にもとづいて官有地とさるべき土地であることは明らかである。
 しかるに原判決は、右指令を看過し、本件土地に対して明治八年六月二二日地租改正事務局達乙第三号、同八年七月八日「地所処分仮規則」および同九年一月二九日地租改正事務局議定を適用して三田用水組合の所有地とされたのは、右法令の解釈適用を誤つたものというべきである。

第三点 原判決には、明治三二年法律第九九号国有土地森林原野下戻法(以下下戻法という。)の解釈適用を誤つた違法がある。
 原判決は、明治初年の地租改正の過程において、近代的土地所有権が確立したことを認められながらも、本件土地については、明治八年六月二二日地租改正事務局達乙第三号等の官民有区分の基準によつて当然民有地に確定したのであるから、地租改正の際に地券の交付等がないまま放置されたとしても右所有権の帰属には何らの消長もなく、また、下戻法は、地租改正の際、誤つて官有地に編入された土地について、下戻申請する場合の最終期限を限定したにすぎず、その後も明治二三年一〇月一〇日法律第一〇六号によつて行政裁判所に出訴しえたから、三田用水組合が下戻法にもとづいて下戻申請をしなかつたことにより、本件土地の所有権を失うものでもなく、またこれが所有権を主張しえなくなつたものでもない旨判示されている。
 しかしながら、近代的土地所有権が明治初年の地租改正の過程を経て始めて確立したところ、明治政府は、この過程において、地租改正に関する諸法規(布告、条例、達、規則、議定、指令等)によつて民有地たるの要件を明確にしたうえ、人民の土地に対する複雑多岐な支配関係をつぶさに検討し、民有地たるの要件を充たし人民所有と認むべきものについてはすべてこれを民有とし、「地所持主タル確証」である地券を交付して民有地であり、所有者であることを公証したのであるが、これに反してたとえ当該土地につき、民有地と認めらるべき人民の実質的な所持支配進退が成立していたために本来所有権者となりうるべきものがあつたとしても、明治政府が地租改正手続中におりて所有者たるこを認めず「地所持主タル確証」である地券を交付しなかつたならば、それはとりもなおさず明治政府が当該土地の民有であることを否定したものというべきである。
 しかるところ、明治政府において、本件土地を積極的に官有に編入した事実がないとしても、本件土地を三田用水組合の所有であると認めて「地所持主タル確証」である地券を交付した事実もない以上、その後において三田用水組合がこれが所有権を主張することは最終的には下戻法の手続による以外には許されないのである。

 以下詳述する。
一、先づ、近代的土地所有権確立と民有確定の経緯を明らかにする。
 わが国においては、明治五年二月一五日太政官布告第五〇号「地所永代売買ヲ許ス」によつて封建領主の土地領有則を廃止し、近代的私的土地所有権を制度上認めることになつたのであるが(明治元年一二月八日太政官布告が封建領主の土地領有を廃し百姓所持の原則を宣言したとの考えが誤りであることについては、福島前掲書九五頁参照)、明治政府がかゝる私的土地所有権制度を承認したのは、
 明治一三年二月一七日司法省内訓「明治五年第五〇号布告以前ニアリテハ、凡ソ土地ナルモノハ人民ノ私有ニアラザリシハ固ヨリ言ヲ俟タザルナリ、故ニ人民ハ唯之ヲ使用シテ其ノ利得ヲ収納セシニ過ギザリシニ、該布告ヲ以テ始テ其ノ借有土地ヲ各人民ノ所有ニ帰セシメタルハ主ニ行政上特別ノ恩典ニ出デタルモノトス」(吉田久「土地所有権論」(一八一頁参照)(なお大判大正七年五月二四日大判抄録七八巻一八一六九頁参照)からも明らかな様に、行政上の特別の配慮にもとづいた。すなわち、幕藩時代の検地帳体制下における貢租制度では、原則として農民にのみ貢租義務を課し、農民を土地に緊縛し、百姓所持の田畑永代売買禁止の幕府法等、福島、前掲書九四頁参照)、検地帳に登録された土地の石高に応した貢租を徴収するという制度であつたから農民にとつては極めて、苛酷、かつ、不公平な貢租制度であつた。したがつて明治政府にとつて、わが国が近代国家として躍進するためには、かゝる貢租制度を改め、均一賦課の精神にもとづいて全国の租税を統一し、歳入を確保することが、最も緊急かつ重要な問題であつた。そこで明治四年九月大蔵卿大久保利通らは、かかる貢私制度の改正につき、
 「一、水田陸田作毛ノ自由ヲ地主ニ付与ス。二、水田陸田永遠売買ノ自由ヲ地主ニ認允ス。……四、全国ノ田宅山林ノ地積ヲ踏勘ス。五、全国一般ニ地券ヲ発行ス。六、売買地価ニ随テ其額ヲ賦収ス。七、一般ニ地価ノ程度ヲ検査スル。」
との七点を建議し、田畑永代売買の解禁、地券の発行、および地価賦税の原則等を明らかにしたが、右建議は要するに農民に対し幕藩体制下において課された諸制限の撤廃を前提とし、「一地一主」の土地の私有を基礎とした土地課税を骨子とし、これに地券の技術的方法を利用し、地租改正の実施に便ずるということであつた。(福島、前掲書八五頁以下参照。)かゝる建議にもとづいて、明治政府は、明治四年九月四日大蔵省達第四七号「田畑勝手作」同五年二月一五日太政官布告第五〇号「地所永代売買ヲ許ス」、同五年二月二四日大蔵省達第二五号「地所永代売買許可ニ付地券渡方規則ヲ定ム」、同五年七月四日大蔵省達第八三号「地所売買規則中第一三則従来持地地券渡方」を制定公布した。
 したがつて明治政府が土地私有制度を認めたのは地租改正を実施するためであり、土地所有者は租税義務者であつたから、租税義務者のためには、当該土地が人民の所有であり、所有権者であることの確定が必要であつた。そして、この租税義務者の確定と土地所有者の確定のために地券が利用され、地券の交付によつて土地所有と租税義務が相関的に設定されたのである。(福島、前掲書二六八頁参照)すなわち、明治政府は、個人の土地所有権を設定した場合には、これが「地所持主タル確証」である地券(前記明治五年二月二四日大蔵省達二五号第六参照)を交付して土地所有を公証すると共に、この地券には当該土地の又別、地価が記載されているところから土地所有者は、この地価を基準にして租税義務を課されたのである。
(以上はいわゆる改正地券および市街地券について妥当するが、改正地券の前身である壬申地券は改租前にその準備のために発行されたので、地価の記載はなく、土地所有の公証の機能を有したにすぎない。福島、前掲書三七六頁以下参照)。
 ところで幕藩時代には、原判示されているように、今日の土地所有権(近代的私的土地所有権)と同一内容の権利関係は存在せず、複雑多様な支配(利用)関係が存在していたにすぎなかつた(福島、前掲書二三六頁参照)のでこの支配(利用)関係を「一地一主」に整理する必要があつた。そこで、この土地に対する、いかなる支配関係を所有権として認めるかは、明治政府にとつて極めて困難な政策上の問題であつた。
 しかしながら、幕藩時代にも、田畑、市街地等については、今日の所有権概念に相当し、相当程度抽象化され、観念化された支配権が存在しており、かゝる支配権は「所持」すなわち「何某持」という言葉で表現され、そしてこの所持権は、検地帳または水帳に記載されることによつて確定され、かつ現実の支配を離れて保護されていた。この「所持」と似て非なるのは、「支配」「進退」という言葉で表現される利用関係である。すなわち、「所持」は検地帳等に記載されることによつて確定された抽象的支配であるが、「支配」「進退」は事実上の支配すなわち現実の用益関係を意味するにすぎず、検地帳にも記載されなかつた(もつとも多くの場合、「所持」者が「支配」「進退」していたであろうが、両者は異つた観念である)(乙第一三号証参照)。
 そこで、明治政府は、原則として、かゝる幕藩時代における「所持」権をもつて私的土地所有権として認めることにした。かゝる事実は、福岡県からの租税寮改正局(壬申八月二二日指令)に対する伺大意中の「今般管下人民地所所持之者江最前御達之御規則ニ準シ都而地券可相渡尤至急取総而十月中ニ渡済相成候様可致旨被相違……」との記載、あるいは、地租改正前に地租改正の準備として土地所有を公証するために交付された壬申地券の雛形中の「永代所持之証トシ此地券ヲ与ヘ……」との記載(地租改正資料刊行令編「明治初年、地租改正基礎資料」上巻二〜三頁参照)等からも明らかであろう。(なお我妻博士は、「土地の耕作関係については、きわめて複雑な関係が存しておつた。これを四箇の制限物権に限定することは甚しく無理である。ことに貢租徴収権と耕作権の対立しておつた場合に、一律に原則として前者を所有権と認めたことは、既に民法制定以前に犯された誤謬である」と論じられている。)「物権法」二三頁参照)。
 かくして明治政府は、私人の所持している土地を民有地と認めることにしたのであるが、この私人の所持している土地であるか、否か、ということは、田畑、市街地等については、所持権者が検地帳等に記載されている等の事情から割合容易に認定されえた。
 しかし山林原野等については、幕藩時代における農民の支配意識が稀薄であるのに反し、領主側の支配意識が極めて強く、農民の収益を恩恵的と考える傾向が強かつた(福島、前掲書五一八頁参照)ために、山林原野等についての民有地か否かの認定は極めて困難を伴つた。
 そこで、明治政府は、明治八年三月、大蔵、内務両省間に地租改正事務局を設け、「地租一切ノ事務ヲ管轄」(同局職制)せしめることによつて、「土地ノ広狭ヲ丈量シ、錯乱ヲ糺正シ、其名称ヲ区別シ地価ヲ定メ地租ノ増減ヲ審按」(同局事務章程)せしめることによつて、「土地ノ広狭ヲ丈量シ、錯乱ヲ糺正シ、其名称ヲ区別シ地価ヲ定メ地租ノ増減ヲ審按」(同局事務章程)せしめた(前掲「基礎資料」上巻、九頁以下参照)。
 かくして、地租改正事務局は、山林原野等についての民有地か否かの区別をするための具体的基準として、前記明治八年六月二二日同局達第三号「山林原野池溝等官民有区別更定調方」、同八年七月同局議定「地所処分仮規則」、同八年一二月二四日同局達乙第一一号「山林原野池沼等官有定方達以前改正済ノ分モ更ニ取調伺出テシム」、および、同九年一月二九日同局議定「昨年八年当局乙第三号同一一号達ニ付山林原野等官民所有区別処分派出官心得書」等を制定公布すると共に、かゝる基準のみでは多種多様な利用関係にある土地に対する民有地か否かの認定には不充分であつたところから、前記明治八年五月二四日地租改正事務局達乙第一号にもとつく地方官からの伺いに対し、無数の達、指令等を制定公布したのである(前掲「基礎資料」上、中、下巻参照)。
 その結果改租担当官は、かゝる法令等を基準として個々の土地を調査し、個々的に民有地か否かの認定をし民有地と認定した土地には、地券を交付し、この地券にもとついて租税義務を課したのであるが、改租担当官が民有と認定さるべき土地を誤つて官有と認定した場合とか、あるいは、民有と認定さるべき土が調査漏れのために民有地と認定されなかつた場合(脱落地)には、改租担当官の当該土地に対する民有たることの認定行為がないから当該土地については、人民の所有権が認められないことになり、その故に地券も交付されず、また租税義務も課されなかつたのである。
 ところで、明治政府は全国の土地の官民有等を区分するために、明治七年一一月七日太政官布告第一二〇号「地所名称区別改定」を制定公布した。その結果、改租処分の際に官有とされた土地はもちろん、脱落地等もすべて官有に属することになつた。
 たとえば、本件土地の様な水路敷地が仮に民有地とさるべきであつたとしても、改租担当官が官有とし、あるいはまた調査漏れのために脱落地となつた場合には、右敷地は民有地第三種の「民有ノ用悪水路・井溝敷地」の要件を充たさないことになるから当然官有地第三種に属するに至つたのである。(なお福島、前掲書第六〇四頁以下参照。)
 かように、脱落地も官有とされたことについては、
 例えば「地押調査ニ伴フ土地ノ官民有区別」についての明治一八年一一月一八日主秘乾第八三号「大蔵卿ヨリ内務卿ヘノ内議」
 「……脱落地等ハ当初改租ノ調査ノ充分ナラサルニ起因セル義ニテ其証左明瞭ナラサルモノノ如キハ畢竟取調ノ誤謬ニ出タルニ外ナラサレハ之カ訂正ニ係ル処分及改租後私墾ノ実蹟或ハ民有地ニアラサル部分ニ及ヒタルモノモ可有之此等ノ分ニシテ民有地ニ払下支障無之モノト地方庁ニ於テ確認シ得キモノハ其処分方トモ此際ニ限リ特ニ地方庁ニ御委任相成候様致度此段及御内議候也」に対し、
「内務大臣農商務大臣ノ回答」は、
 「明治十八年十一月十八日秘乾第八三号ヲ以テ脱落地及官地侵墾処分方地方官ヘ委任ノ件御照会ノ趣了承山林ヲ除クノ外誤謬ニ係ル脱漏地ハ御来意ノ如ク地方庁限リ処分セシムヘク候官地侵墾ノ義ニ応シ難ク云々」
と回答し、次いで、明治一九年二月一九日内務省訓示秘第一九四号により、
「民有ノ確証アル土地ヲ地租改正ノ際誤テ脱漏セルモノノ処分方ノ儀ハ其都度継伺セシメ候来処山林ヲ除クノ外当分ノ内府県限リ処分委任候条民有地ニ編入シ処分済可届」と訓示しており、さらにはまた、明治三〇年八月八日農商務省令第一三〇号「官有森林原野引戻申請ノ件」においても、
 「官有森林原野ヲ民有ニ引戻ヲ請フモノハ自今左ノ手続ニ拠ルヘシ」
第一条、官有森林原野ニ編入セラレタルモノニシテ民有タルモノニシテ民有タルヘキ証左ニ拠リ地所又ハ立木竹ノ引戻ヲ請フモノハ官林ニ関シテハ大林区署其他ノ官有地御料地又ハ未定地脱落地ノ民有地編入ニ係ルモノハ府県庁ヲ経由シテ農商務大臣ニ申請スヘシ……」
と規定する等していることからも明らかというべく、そして明治政府は、かゝる脱落地に対する人民の所有権を設定するために、民有地編入という処分によつていたのである。このようにして、地租改正の過程において明治政府によつて民有地と認定されない以上、人民は当該土地に対する所有権を主張しえなかつたのである。
 そして、かゝる改租担当官の過誤を是正するために下戻法が制定されたのである。その故に、下戻法は、
「第一条 地租改正……ニ依リ官有ニ編入セラレ現ニ国有ニ属スル土地森林原野……ハ其ノ処分当時之ニ付所有……ノ事実アリタル者ハ此ノ法律ニ依リ明治三三年六月三〇日迄ニ主務大臣ニ下戻ノ申請ヲ為スコトヲ得
二、前項ノ期限ヲ経過シタルモノ又ハ裁判所ノ判決ヲ受ケタルモノハ下戻ノ申請ヲ為スコトヲ得ス
三、……地租改正処分既済地方ニ於ケル未定地脱落地ニ付テハ此ノ法律ノ規定ヲ準用ス
第四条 下戻ヲ受ケタル者ハ其ノ下戻ニ因リテ所有……ノ権利ヲ取得ス
二、前項ニ依リ所有……ノ権利ヲ得ントスル者ハ其ノ土地森林原野……ニ関シ第三者ニ対スル国ノ権利義務ヲ承継ス」
と規定した。要するに下戻法による下戻判決等が、法律的には改租処分の取消または無効宣言を内容とするものでは決してなく、誤つた改租処分により、官有に編入された国有地についてはもちろん、脱落地についても同法を準用し、下戻権者に対し、新に所有権を設定する効力を有する旨規定するに至つたのであり、この趣旨は判例上も確立しているのである。(大民判明治三七年四月二〇日大審抄録二一巻民事四〇九八頁、大民判明治三七年五月一三日大審民録一〇輯六七六頁、大民判明治四〇年二月一日法律新聞第四〇八号五六一頁、大刑判大正二年三月三一日大審抄録五四巻刑事六二四〇頁、大民判大正三年三月七日大審抄録民事四九巻一一四二一頁、東控判大正二年一二月八日法律新聞九二〇号四七二頁、大民判大正五年一二月二日大審抄録六九巻民事一五五八〇頁、名控刑判大正五年一〇月二五日、法律新聞一一九七号一九二六頁、大刑判大正七年一二月六日、大審刑録二四輯一四九六頁、東高判昭和三五年(ネ)第一六一六号昭和四〇年一二月一二日言渡各参照)。 ところで、原判決は、本件土地については、改租処分の際に、地券の交付等がないまま放置されたのであるが、明治八年六月二二日地租改正事務局達乙第三号等の官民有区分の基準に照らし民有地である旨判示されているところから、本件土地について改租担当官が民有地と認定した行為は存在しないことは明らかである。
 そして、本件土地は、改租処分既済地方にあたることは公知の事実であるから、下戻法第一条三項の脱落地であつて、国有というべきである。
二、次に下戻法が改租処分の過誤を是正するための最終的立法であることを明らかにする。 地租改正に際し、民有とさるべき土地が誤つて官有に編入された場合に、明治二三年一〇月一〇日法律第一〇六号によつて行政裁判所に出訴しうるものにしても、地租改正に伴なう官民有区分は明治一〇年前後に終了しているので、下戻法施行時には、すでにこれが処分の違法を争つて、行政裁判所に出訴することは出訴期間(明治二三年六月三〇日法律第四八号「行政裁判所法」第二二条一項)を徒過しているために、許されなかつたことは明らかであり、さらに、脱落地については、改租担当官の何らの処分も存在しないのであるから、右法律にもとづく出訴は許されない筈である。(行政裁判所明治四〇年四月二二日宣告、行政裁判所判決録明治四〇年度二一七頁参照)。
 そこで、誤つて官有地に編入された場合には、明治一五年一二月一二日大政官布告第五十八号請願規則にもとづいて、府県知事に対し、官有に編入された土地の下戻を出願して救済を求めた。
 ところが府県知事は、右出願に対し、往々にして主務省に禀請することなく、専決で処理したので、明治二三年四月一五日農商務省訓令第二三号「官有森林原野引戻ノ件」を発し、下戻の出願に対しては、総て農商務省に禀請したうえ処理すべきことを改めて令じた。そしてこの府県知事に対する下戻の出願に対し「難聞届旨」の指令を受けた者がはじめて右行政裁判所法所定の出訴期間内に限り、右指令を違法とし、民有えの引直しを主張して行政裁判所に出訴しえたのである。
 ところが、当時右出願の形式等も定まつていなかつたため、これが手続を画一化するために、
明治三〇年八月六日農商務省令第一三号「官有森林原野引戻申請ノ件」
「官有森林原野ヲ民有ニ引戻テ請フモノハ自今左ノ手続ニ拠ルヘシ
第一条 官有森林原野ニ編入セラレタルモノニシテ民有タル証左ニ拠リ地所又ハ立木竹ノ引戻ヲ請フモノハ官林ニ関シテハ大林区署其他ノ官有地御料地又ハ未定地脱落地ノ民有地編入ニ係ルモノハ府県庁ヲ経由シテ農商務大臣ニ申請スヘシ
(略)
第五条 本令発布以前府県庁ヘ出願セシ分ハ本令ニ依リ提出シタル申請ト看做ス」
を発し、誤つて官有に編入された土地等の下戻しの出願手続等を整備し、官有編入処分の誤謬の是正等を図つた。
 しかし、右省令においても、下戻しのための出願期限を限定していなかつたために、明治初年に実施された、土地の官民有区分が、いつ確定的に終了するかということも皆目不明であり、かかる結果は、国有財産の整備および営林事業の計画等において極めて重大な障害となつた。そこで明治政府は、下戻法を制定し、従来の下戻手続を整備拡充すると共に、下戻しの出願期間を明らかにするに至つた。
 かかる事情は、下戻法案を第十回帝国議会衆議院に提出した際に、政府がその提案理由として、「官有の土地、森林、原野及其地に生立つて居ります立木竹の下戻は、地租改正後の今日尚ほ出願を絶えませぬ、続々出願があります。然して其出願期限も際限が極つて居りませぬ故に、国有財産の整理と、営林事業の計画上に就きまして、最も困難を感じておりまする故に茲に下戻申請の時効有効期限時効を設定するの必要を認め……本案を提出致しましたる所以でございます。」と述べていることからも明らかである。
 そこで、下戻法では、下戻しの出願期限を明治三三年六月三〇日に限定し、なお、右省令等にもとづいて、既に出願済みのものについては、下戻法による下戻申請として処理することにした。(同法第七条参照)
 かような次第であるから、下戻法は、改租処分の過誤を是正するための最終的立法であり、右出願期限である明治三三年六月三〇日以後には、もはや下戻申請を許されないことはもちろん、明治二三年一〇月一〇日法律第一〇六号によつて行政裁判所に出訴することも許されなかつたのである。
 しかるところ、本件土地つき、三田用水組合は、下戻法にもとづいてこれが下戻された事実もない以上、同組合は本件土地の所有権を有しないことになりまたこれが所有権を主張しえないものというべきである。
 以上の次第であるから原判決には、下戻法の解釈適用を誤つた違法があるものというべきである。

第四点 原判決には原告組合の代表者の代表権限につき審理不尽の点がある。
 原判決は、鏑木忠正の代表権限につき、三田用水普通水利組合は昭和初年にその設立目的であるかんがい排水事業を廃止したが、その後も引き続き用水路および流水を管理して給水事業を継続し、監督官庁等も同組合が存続するものとして取扱つており、また水利組合法第一五条第一項による普通水利組合廃止についての知事の許可もえていないから、同組合は右目的事業の廃止とともにその実体が当然に消滅したものともいえず、また組合も解散することなく、依然存続しているものというべきであるから、品川区長であつた鏑木忠正が右目的事業の廃止後東京都知事から三田用水普通水利組合の管理者に指定された以上同人は同組合につき適法な代表権を有していたものというべきである旨判示され、右鏑木忠正代表名義の本件訴の効力を適法とされている。
 しかしながら法人の目的は法人の生命であり、法人はこの目的遂行のために存在しているのであるから、(民法第四三条参照)この目的が消滅することによつて法人は当然その存立の基礎を失い、理論上当然解散するものと解すべきである。(民法第六八条一項二号参照)
 そうすれば、三田用水普通水利組合は昭和初年にその設立目的であるかんがい排水事業を廃止した以上、同組合はこれと同時に解散し、清算手続にはいつたものといわなければならない。つまり、同組合は、昭和初年に単にその財産関係の清算のためにのみ存続することになつたのである。したがつて、同組合の右清算は同組合の清算人によつてなされることになる。
 しかるところ、水利組合法及び原告組合の定款には同組合が解散した場合の清算人選出についての規定はない。すなわち、同法第一五条第一項の規定も、水利組合廃止の場合の規定であつて同組合の解散の場合の規定ではなく、また同法第三三条第一項の規定もまた、同組合がその目的遂行のための活動を前提とした代表者指定の規定であつて、本件のように解散した同組合の清算人選出の為の規定ではない。
 かように水利組合法には清算人選出の規定がないにもかかわらず、原判決が、慢然と右鏑木忠正が都知事から三田用水普通水利組合の目的に従い活動する管理者に指定されたから右代表者であるとして、同人代表名義の本訴提起を適法とされたことは合法的な清算人選出の判断を誤つていると思料するからこの点についても御判断を願う。

以上
 上告人補助参加人代理人佐生英吉、同鎌田英次、同中村登音夫、同桧垣元一、同高橋三郎、同野村昌彦の上告理由
 上告人補助参加人が、本案前の抗弁として、三田用水普通水利組合(以下三田用水という)は、既に昭和初年頃、目的達成不能又は社員の欠亡により解散したと主張したのに対し、原判決は、「三田用水普通水利組合は水利組合法第五条の規定に基づき、かんがい排水に関する事業を行うことを目的とする社団法人であり、同法第六条の規定により、右の組合事業により利益を受ける土地をもつて区域とし、その区域内に土地を所有する者をもつて組合員とするものであること、三田用水普通水利組合の組合区域に属する土地は田畑が減少し、昭和初年に至り全部宅地化された結果、同組合の目的とするかんがい排水事業は廃止され、その後本件用水はもつぱら雑用、工業用として使用されるに至つたことは、当事者間に争いない」ものとして、右事実を認めながら、なお三田用水は昭和初年に解散したと認められないとしている。しかし、その理由中には、原判決に影響を及ぼす法令違背があるので破棄さるべきである。

第一点 普通水利組合は、かんがい排水事業を廃止しても、他の事業目的を継続していれば、その実体は存続するとする点について、
一、原判決は、「三田用水普通水利組合は、昭和初年その設立目的であるかんがい排水事業を廃止したものであるが、その後も引続き、用水路および流水を管理して給水事業を継続し、監督官庁等も同組合が存続するものとして受取つていたことが認められるのであつて、目的事業の廃止とともに組合の実体が当然に消滅したものということは出来ない」として組合の実体は、昭和二七年まで存続したとしている。原判決の右説示は必ずしも明確であるとはいえないが、その趣旨は、普通水利組合は、かんがい排水事業の目的を廃止しても、これにより当然には解散せず、他の事業を事実上継続していれば、それでも普通水利組合として存続するとするものの如くである。
二、而して三田用水の実体はなお存続し、水利組合として解散しない理由として、原判決は、かんがい排水事業を廃止した後も、三田用水が、雑用、工業用として、用水路及び流水を管理して給水事業を継続していたこと及び監督官庁も同組合が存続するものとして取扱つて来たことの二点をあげている。
 しかし、水利組合法に定める普通水利組合の目的は、同法第五条に定めるように、かんがい排水事業を営むことにある。即ち、普通水利組合は、農地かんがい行政の自治を行わしめることを目的とするものであり、その目的のために、一水系の系列にある農業者により結成された社団であつて、他のいかなる目的のために結成されたものでもない。
 水利組合は、かんがい排水事業という公共の事業目的を営むからこそ、公法人としてその成立をみとめられているのである。そのため組合は、その組合員に対して組合費その他事業費を負担せしめ、それを市町村税の例により強制徴収することが出来るし(水利組合法第五六条)、又その事業のため夫役現品を組合員に賦課できるのである(同法第四九条)。
 ところが、原判決も認めるように、三田用水は昭和初年頃その区域の全てが宅地化し、その目的が廃止されたのである。
 前述の如く公共の目的のもとに結集しているからこそ、その構成員に対して強権力を有する公法人が、その肝腎の事業目的の全てを失い、従来公共の目的のために利用していた用水路及び流水を事実上他の目的に使用していたからといつて、公法人としての実体が存在し、解散しないといえるであろうか。
 しかも、現実に行われている事業目的は、雑用、工業用に利用するために用水路及び流水を管理して給水事業を行い、その代金を徴収することにあるのである。これらの目的は、完全に私益の追求にあり、それのみ目的とするものは、営利団体に他ならない。
三、勿論、公法人たる水利組合にも、その用水路及び流水を雑用、工業用に利用することも、その目的事業たるかんがい排水事業に支障がない限り許されている(水利組合法第五三条)。
 しかし、これは、あくまで公法人たる水利組合の目的に反しない範囲で許されていたに過ぎず、それ自身が目的たりうる性質のものではない。従つて、原判決も認めているように、三田用水は、雑用、工業用として利用するための水利権を、元来持ち得ないのである。四、以上の如き水利組合法のたてまえからみて、雑用、工業用に利用するのみの目的のため用水路及び流水を事実上操作していたものがあつたとしても、それが水利組合法に基づく三田用水の行為であり、従つて、三田用水の実体が存在するといいえるであろうか。そこに存在する集団は、決して、公法人たり得ないものであり、かんがい排水を事業目的とする公法人とは、同一性をもち得ないものといわねばならない。現に、原判決も認めているように、三田用水の組合区域には、昭和初年頃は、既にかんがい排水を必要とする農民は存在せず、これに関心を持つものもほとんどなく、従つて、組合費及び夫役を収めるものもなく、又徴収もされていなかつたのである。このように、普通水利組合としての活動は、何等なされていなかつたのである。
 しかるに、かつての役員や職員の一部は、この用水路及び流水を操作することにより、利益をあげることが出来ると考え、公法人たる三田用水自身の行為たる如く装い雑用、工業用としてこれを流用し、その代金を徴収する等して私益をはかつて来たに過ぎない。
 しかも、原判決も認めるように、本来の三田用水にすらも、このような水利権はないのであるから、これらの行為そのものが、全く違法なものといわねばならない。
 以上の諸点からみて、現実に用水路及び流水を操作する集団は、私益追求を目的とする集まりに過ぎず、公益を目的とする社団たる本来の三田用水とは、全く別個の存在であり、同一性なきこと明らかであろう。これら、私人の集まりは、たゞ単に、三田用水を潜称していたに過ぎないのである。一方、かんがい排水事業を目的として集合する農民は、全く存在せず、三田用水の実体は完全に消滅してしまつたのである。
五、なお、監督官庁等が、同組合を存続するものとして取り扱つて来たとしても、それはそれら官庁の誤謬に過ぎないのであり、これを以つて組合が存続するという根拠とはなり得ないことは言を俟たない。監督官庁等が、三田用水の実体をつかみ得なかつたためになした誤れる措置を、裁判所が咎めず、却つて自己の結論の支えの一つとしなければならないとしたら、それは司法権の自主性を放棄するものといわなければならない。
六、以上の如く、公法人たる三田用水は、昭和初年にその目的たる事業を廃止しその実体を失い、目的達成不能をきたしたので当然に解散したものといわねばならない。蓋し、普通水利組合の如き公益を目的とする法人は、民法第六八条一項第二号により、目的達成不能となれば当然解散事由を生ずるからである。普通水利組合のみが、この規定の適用をまぬがれるべき根拠はないからである。これに反して、三田用水は、かんがい排水事業を廃止してもその実体は存続するとする原判決は、普通水利組合が、水利組合法第五条に定める目的以外の目的のために存続し得るとする見解に立つものであり、法令の解釈を誤れるもので、破棄をまぬがれない。

第二点 三田用水の組合員はなお存在するとする点について、
一、原判決は「水利組合法第一五条第一項により、普通水利組合の廃置分合または区域の変更は組合会の議決または協議により、知事の許可を得て行うものとされており、その手続を経ないかぎり、当然に普通水利組合の組合区域が消滅しない」のであるが、三田用水では「右手続を経たことがみとめられないから、区域が全て宅地化しても、全部消滅したとは認められない。」そして、「組合員は、右区域の土地所有者で組合が事実上行う事業により、利益を受ける者が存在する以上消滅しない」と判示し、三田用水の場合は、右区域の土地所有者のうち、雑用、工業用に水を利用するもの(上告人補助参加人サツポロビール株式会社ほか数社)が、組合員であるとの趣旨を述べ、三田用水は組合員の欠亡により、解散したものではないとしている。
二、原判決は、水利組合法第一五条第一項に、普通水利組合の区域変更は、組合会の議決または協議により、知事の許可を得て行うものと規定されておることから、これらの手続がないかぎり、組合の区域が消滅することはないとする。しかし、組合の区域は、水利組合法第六条により「組合の事業のため利益を受ける土地を以つて区域とする」と規定されており、これが組合区域たるための絶対的な資格要件である。
 この実質的要件を充した上に、同法第十条の「区域の指定を含む組合設置の行為」の如き形式的要件が備われば、当該土地は区域として成立するし、又、同法第十五条の「組合会の議決または協議による知事の許可」の如き形式的要件が整えば組合区域の変更が生ずるのである。而して、この実質的要件は区域の成立や変更の際の要件たるにとゞまることなく、当該土地の区域として存続する要件でもある。原判決はこの存続要件たる点を見落すものであつて、このため後述する如き論理の混乱と論旨の非常識をまねくにいたるのである。
三、元来、普通水利組合は、農地かんがい行政の自治を行わしめるために一水系の系列にある農業者の社団を創ることにあるのであり、その目的のもとに結合されるのである。従つて、その目的により利益を受ける土地のみをその組合区域とし、これを所有する者のみが、組合の行政に参加し、組合の権限に服するのであり、これ以外のものには及ぼさないように構成さるべきである。この状態を維持することは、普通水利組合の基本的原則である。水利組合法第六条は、この基本的原則を明らかにしたものであり同法第一五条も、右の基本的原則を逸脱する如く解釈することはできない。
四、水利組合法第一五条は、同法第六条の要件をみたしている土地をその区域とするか否か、又はこれを区域からはずすか否かについては、組合会の意思と知事の許可が必要であるとする規定であり、第六条の要件をみたさないものについて適用を予想して定められた規定ではない。この点は、後述する右第十五条の組合の廃置についてと同様である。同第六条の要件を欠くにいたつた土地は、区域たるの実質要件を喪失したものとして、該土地を区域たらしめた知事の指定その他の許可は不能に帰し、自動的に区域から脱落するのであつて、同第十五条の如き行政行為を要しないのである。蓋し、農地の宅地化・商業地化の如きは、組合会の決議にも、知事の許可にもなじまないからである。原判決はこの点につき法律の解釈を誤まれるものといわねばならない。
五、更に、原判決は、前述の如く曾つて区域であつたと云うだけで、用水路及び流水に何等関係のなくなつた土地を広く区域としてみとめたため、その区域内の土地所有者が全く三田用水の組合員であるとせざるを得なくなつたが、これではあまりにも現実にそぐわない非常識なものとなるため(原判決に従えば、渋谷区、世田谷区、港区、目黒区等の商店街、住宅街に広範な組合区域が存在することとなり、その土地の所有者の全てが組合員となればその数は現在数万にのぼるかも知れない。しかも、それ等の人々の多くは昭和初年以降の土地取得者であつて、農業水利には何の関係もなかつた人々である。)そのうち、三田用水がかんがい事業を廃止した後事実上行つて来た事業により、利益を得ているもののみが、組合員である旨述べている。
 しかし、いかなる法理に基づいてこのような見解に到達したかは、原判決自身何等明らかにしていないが、吾人の法律常識を以つてしては全く理解することが出来ないところである。
 先ず第一に、組合区域内の全土地所有者を組合員としない理由が全く不明である。この見解は区域内の土地所有者に組合員とそうでない者との二種類を想定するものであるがこれでは組合員と組合区域との相関関係を無視することとなつて、明らかに同法第六条の規定に反する。而して、この相関関係を重視し組合員と区域とを連結しようとすれば、区域は、「組合が事実上行う事業により利益を受ける」少数の「組合員」の所有土地と云うことゝなつて、組合区域は昭和以前のまゝだとする原判決の持論は維持出来ないことゝなる。 第二に、「組合が事実上行う事業により利益を受ける者」は前述の如く、上告人補助参加人サツポロビール株式会社のほか、防衛庁、雅叙園、伊東ハムなど数社に過ぎず、その用途は大部分工業用水であつて、農業用水は全くない状況にあるから、これ等の者のみが組合員だとすると、三田用水は農業水利団体から、工業用水団体に転換したこととなる。この様な性格の大転換が、農業用水利団体の基本法たる水利組合法の枠内で為され得るとする理由が全く不明である。あたかも都市法で農村を規制する如きことで、不合理も甚だしい。
 最後に、原判決の説示が、「組合員は区域内の土地所有者の全員だが、そのうち利益を受けるものは少数存在する」と云う趣旨ならば、全く非常識な見解と云わなければならない。数名の組合員の利益の為に、数千数万にのぼる組合員で組織された組合等と云うものはあり得ないばかりでなく、組合員の資格を一水系のかんがい体系に含まれる土地即ち区域によつて定めようとした法のたてまえを無視することゝなるのである。
 いずれにせよ、原判決は、水利組合法第五条並びに第六条の解釈を全く誤つているとしか考えようがない。原判決は三田用水の実体が昭和二七年まで存続したと説示しながら、その構成要素である組合区域、組合員、事業目的等が現実にはどのような形で存在するのかを明らかにし得ず、その説示は混乱を極めているといわなければならない。
 三田用水は、前述の如く、かんがい排水の目的を廃止し、その全区域が消滅し、従つて、これを構成する組合員も存在せず、昭和初年頃解散したものである(民法第六八条第二項第二号)。

第三点 水利組合法第一五条の手続を経ない以上解散しないとする点について、
一、原判決は、普通水利組合の解散は、水利組合法第一五条により、組合会の議決または、協議により知事の許可を得て行うことが出来るのみであるから、たとえ、事業目的が廃止され、組合員の欠亡が生じても、組合は解散することなく、存続すると判示している。この点においても、原判決は、法律の解釈を誤れる違法があるといわねばならない。
 即ち、同条は、組合会の意思により、組合を解散する場合には、監督官庁である知事の許可を必要とする旨規定したものであり、組合会の意思で勝手に解散することを防いだものである。従つて、組合員の欠亡、(この場合は、組合会は存在せずその議決または協議は不可能である)または事業目的の消滅等の如き自然的な原因による構成要素の消滅にもとづく解散の場合まで制限するものではない。(注)
(注) 美濃部達吉著「行政法提要上巻」五三二頁に「凡テ公共組合ハ国家的目的ノ為ニ存スルモノナルヲ以テ、国家ノ同意ヲ得ズシテ自己ノ任意ニ解散シ得ベキモノニ非ズ。構成要素ノ滅失又ハ其ノ他ノ特別ノ事由ニ基キ自然ニ消滅スル場合ヲ除クノ外其ノ消滅ハ必ズ国家ノ意思ニ基クモノナラザルベカラズ。
私ノ社団法人ガ総会ノ決議ニ依リ解散シ得ベキニ反シテ、公共組合ノ解散決議ハ少クトモ国家ノ認可ヲ得ルニ依リテノミ有効ナルコトヲ得ベシ」とある如く、水利組合法第一五条もこのような趣旨で規定されたことは明らかであろう。
二、水利組合法第一五条は、普通水利組合が公共のために設置されたものであるから、組合員のみの意思で勝手に解散されたのでは、公共の利益が害される危険があるため設けられた規定である。
 自然的な原因による構成要素の消滅は、組合会の議決や知事の許可によつていかんともしがたい性質のものであるから、右第十五条に規制されるものではない。原判決の説示のように既にその実体を喪失しているにもかかわらず法律上は組合が存在するとすることは、一般社会に誤解混乱をまねくこととなるのである。
 以上いずれの点からみても、三田用水が昭和初年頃かんがい排水事業を廃止したにもかかわらず、なお解散せず、その正当な代表者が、本件訴を提起したとする原判決は、その結論に影響を及ぼす法令の解釈を誤れる違法があるといわねばならず破棄さるべきである。
 三田用水は現在清算未了の状態にはあるが、昭和初年に解散したのであるから、それ以後現在迄に用水路及び流水を操作していたものは、三田用水を僣称する数人の個人に過ぎないのであり、本件訴を提起するのも、これらの僣称人である。従つて、本件においては、当事者として、三田用水普通水利組合と表示されているが、以上の事情からみて、その当事者は三田用水とは全く異別の存在である三田用水を僣称する数人の個人とみるべきことは当然である。然るにこれらは、民事訴訟法第四六条にいう社団ではないから、当事者能力を有せず、訴は却下さるべきである。
 また、かりに、当事者能力を有するとしても、これら僣称人は、本来の三田用水の承継人ではないから、本件土地及び水利権等を有しないことは明らかであり、その請求は棄却さるべきである。

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