江戸初期、金沢城下を火災から守るため、辰巳用水が建造された。3代藩主・前田利常の時である。 以来、360年間、現在も生きて使われている文化財である。辰巳用水は金沢の景観を決める重要な要素であった。
1979(S54)年末、辰巳ダム建設計画が表面化。辰巳用水が破壊されることになる……! 1980(S55)年9月22日、石川県文化財保護審議会が開かれた。この審議会の結論とされる「辰巳用水破壊はやむ得なし」は、実は幻であった。
知事からの諮問もなく、議事録もない。結論もない!…… 実に奇妙な会議だったが、しかし、これが辰巳ダムのゴーサインだった。
「歴史的文化財・辰巳用水を守ろう」と市民運動が始まった。以来、20年以上続けられた「辰巳用水愛護運動」は、「ダム反対運動」へ質を変え、全国の運動とも連携する運動へ高まった。
県は新河川法に基づいて「河川整備基本方針」と「河川整備計画」を作るため、専門家の委員会を設置。 委員会は、1年の議論の後、辰巳用水を保存する提言をまとめたものの、辰巳ダム建設の方向は変えず、流域委員会で最終版の議論が続けられ、最終的に200t/秒の洪水量を調節するために、新辰巳ダムを盛り込んだ河川整備計画を決めた。
こうした委員会議論の中で新しい疑問が吹き出しているが、委員会は県の資料や説明を前提にしているため、整合性のとれない河川整備に突き進もうとしている。 辰巳用水の保護・保全、自然環境を守れ、辰巳ダム阻止の運動は、河川の「治水・利水・環境」をめぐる総合治水を求める運動に高まっている。
このコーナーは、膨大な公文書から、辰巳用水と辰巳ダム、治水問題を検証している。
◆辰巳ダム問題とともに浮上してきたのが、犀川最大の危険箇所である、城南一丁目の存在。この堤防は老朽化し、堤防も低い。仮に辰巳ダムが出来ても、ここから500m3/秒以上の越流が発生する計算になる。 この地区に完成した雪見橋は、辰巳ダム問題とともに、城南一丁目の矛盾の象徴でもある。
◆最近公表された資料によれば、鞍月用水堰付近の流下能力が1/3(確率年)という計算になっている。 1/3
だったらこの箇所から過去より数十回と越流出水が起きていてもおかしくはない。しかし明治18年に洪水の記録があるが100年間ここからの越流流はない。 おかしいのは過大な基本高水を決めたことである。この決定に参加された「学識経験者」の責任は重大だ。東大名誉教授をはじめズラっと「先生」が名を連ねている。 ◆こうした初歩的な間違いを岡本芳美先生がシンポジウムで指摘された。
またまた大問題が浮上。辰巳ダム湛水地内の大規模地すべり地の存在である。
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