「行政資料をして語らせる」



2004.11.18 スタイルのみ更新
掲載は、この本ホームページ開設時と同時(1999.1.10)


 辰巳ダムや辰巳用水、情報公開などの問題に関わるきっかけになった経過をまとめたものである。金沢のミニコミ誌「VIEW」に1999年12月書いたもの。
 この前年(1998)、石川県公共事業評価監視委員会が設置され、辰巳ダム建設事業も、評価の審議対象とされた。
 監視委員会は、独自の判断を避け、市民側と意見交換会を石川県に求めた。意見交換会には、「辰巳の会」「ナギの会」「白山の自然を考える会」など、辰巳ダムに反対や疑問をもつ市民が参加した。
 辰巳ダム問題の詳細は、「辰巳の会(兼六園と辰巳用水を守り、ダム建設を阻止する会)」



辰巳ダム建設問題(1999.12)

行政資料に語らせる=私の情報公開物語

  渡辺 寛 わたなべ・ひろし(ナギの会代表)



【はじめに】

 石川県公共事業評価監視委員会が辰巳ダム建設について、厳しい五条件をつけ「消極的賛成」(川島委員長)を決めた。この条件が盛り込まれたことにより、辰巳ダム建設は事実上不可能となる可能性を含んでいる。
 この監視委員会に先立って、県と市民グループの間で、七回・三十数時間にわたる「意見交換会」が開かれ、二十年間の長い反対運動が提起した問題をより精密にした論戦となった。市民側が提起した問題点に、県はほとんどすべてに説明ができず、市民側の「圧勝」となった。

 私もこの意見交換会に参加し、いくつかの新しいテーマで問題提起をし、辰巳ダム問題をより深めることに貢献できたのではないかと思っている。以下概略を説明したい。


【情報公開請求】

 つい最近まで、感覚的・直感的に辰巳ダムはおかしいという思いはあったが「金沢を洪水から守る」というダム建設の目的を見ると、積極的に反対運動に関わることに戸惑いがあり、いつかしっかり考えたいと思い続けてきた。
 少しづつ反対運動に関わっている人たちから資料を集めはじめた。かなりの量の資料の束になった。ざっと目を通してみて疑問が出てきた。辰巳ダムへの疑問ではなく、資料のほとんどが反対運動側の作ったもので、批判の対象となっている県の言い分を直接確かめることができない。つまり第一次資料とも云える県作成の辰巳ダム計画資料がない。おびただしい質問状や陳情書、アピールや解説書、新聞のコピーなどの中から、間接的にしか県の辰巳ダム計画が見えてこない。

 辰巳ダム問題を知るにはまず、県がつくった資料を見るしかない。自分で納得するまで資料と格闘しようと決めた。また、こうしたことを楽しくやろうと『情報公開物語』と題したファイルを作り、綴じていくことにした。
 県の資料公開窓口を訪ねたのが昨年九月。「建設大臣への辰巳ダム建設認可申請書」「同認可書」「環境影響調査(アセスメント)報告書」などいくつかの資料を請求。また、辰巳用水破壊を認めたとされる昭和五十五年の県文化財保護審議会の議事録なども請求した。
 いくつかの資料が入手できたころ、建設省の指導により石川県でも公共事業を見直す評価監視委員会が設置され、辰巳ダムも対象になると伝えられた。


【河川法十六条・工事実施基本計画】

 公開された資料によって、辰巳ダム計画が河川法の手続きで申請されていること、平成二年に認可申請され、翌年に認可されている事などがわかった。まてよ、認可された期日がつい最近ではないか。辰巳ダム計画はたしか昭和五十八年に認可されたのではなかったか?
 また計画書の中で収支バランスが書いてある。辰巳ダムによる年平均被害軽減額が二十二億円とある。参考資料として添付してある資料に記載されてある既往被害額一覧を計算すると、年平均一億七千万円にしかならない。実際の被害よりけた違いに大きい額がなぜ計上されているのか?(これは後日、意見交換会で、被害軽減額三千億円問題のベースとして大議論になった。)

 六法全書で河川法を調べてみた。十六条に「河川管理者は、管理する河川について、総合的管理が確保できるよう、工事実施基本計画を定めておかなければならない」とある。犀川にこの工事実施基本計画はあるのだろうか? 資料請求をする。(県の情報公開窓口はファックスでも受けつけるので、自宅から簡単に請求できる。おすすめの制度である。)
 ついでに、犀川ダム、内川ダムの資料、浅野川の工事実施基本計画も請求した。


【県文化財保護審議会の結論】

 こうした作業と平行し、公開された当時の文化財保護審議会の資料を吟味してみた。文化課の説明では三つの公文書がすべてだと言う。@審議会へかけるため事務当局が作った経過説明資料 A文化課内の供覧資料 B文化庁への報告資料=の三つ。
 肝心の、辰巳用水破壊を認めた九月二十二日開催の文化財保護審議会の議事録がない。議事録がないのに、なぜ県文化財保護審議会が「辰巳用水東岩取水口の破壊はやむなし」との結論を出したと伝えられているのか? 結論はどこで担保されているのか?

 『文化課内の供覧文書』に、「小委員会として、やむを得ぬものと結論を説明し、審議会としてその結論を了承する」という数行の記述があった。この文書は課長印だけで教育長や次長の印もない。事務当局が記録として残すメモ的な内部文書だった。小委員会とは、文化財保護審議会の中に辰巳用水問題を専門に調査研究することを目的に設置された五人からなる専門委員会だ。
 文化財保護審議会は、県とは独立した立場、組織で文化財問題を審議するはずだ。「辰巳用水破壊やむなし」というような結論が、事務当局のメモだけで済むはずはなかろう。常識として知事からの諮問を受け、審議し、答申にまとめるはずだ。事実、文化財保護法や県文化財保護条例にそういった手続きが決められている。辰巳用水をめぐる一連の会議は、資料を見る限り正当な手続きを踏んでいない。真相は何処にあるや?

 『文化庁への報告資料』に経過記録があった。文化庁の主任調査官に報告している中に「小委員会の結論」と「県文化財保護審議会の結論」を記載してある。
 小委員会の項をよく見てみると、いくつもの意見が出され、結論として「条件を検討し…審議会としての結論を出す」とある。つまり、小委員会は「破壊やむなし」の結論を出していないことが明記されている。

 では「県文化財保護審議会の結論」の方はどうか。「小委員会として…やむを得ぬものと結論を説明し、審議会は了承する」とある。小委員会が「やむを得ない」と結論を出したことになっている。これはどうしたことか? 作為が感じられる。


【県に説明を求める】

 犀川水系工事実施基本計画の資料を入手した。申請は平成元年、認可が二年辰巳ダム計画書に比べわずか数枚の資料である。金沢市全体の大きな地図にダム本体の場所、氾濫想定区域などが小さく書き込まれている。(この氾濫想定区域図が、後の意見交換会で、「治水効果=三千億円」ともからんで、県を締めあげた。)

 申請、認可の年度もおかしい。河川法十六条では、工事をする前に工事実施基本計画を決定しておかなければならないはずだ。監視委員会への県の説明では、辰巳ダムは昭和五十八年着工とあるので、工事実施基本計画も辰巳ダム計画も大臣認可年度と明らかに食い違う。おかしい。

 いろいろ出てきた。さて、どうしたものか? わからないことは県に聞くのが早道。早速資料を抱えて県河川開発課を訪ねた。今年二月十日のことだ。辰巳ダムの担当者、河川開発課課長補佐が愛想良く応対してくれた。
 彼曰く、「よくわかりません。昔はそうなっていたのでしょうね。昔の人はもういないので分かりません」と。
 なんと言うことか。辰巳ダムを監視委員会にかけようというこの時期に、こういう態度はなかろう。突然来たのだから即答は難しいかもしれないと思い、一週間後に来ますから、調べてほしい」と告げて帰った。


【公開質問へ】

 一週間後、再び河川開発課を訪ねた。課長補佐の態度は前回とは大違い。寝不足で話すのもかわいそうなほど力がなく、質問には同じ答しかない。「昔のことで分からない」と。お陰で私が調べた事を順次説明するはめになった。河川法の趣旨、工事実施基本計画の趣旨、被害軽減額の計算の仕方などなど。
 「渡辺さん、よく勉強してますね」とおだてられたが、これは逆ではないか。本来、事業者が県民へ説明する義務があるのだ。このやりとりで、私の気持ちが吹っ切れた。
「県民に説明できないこのダム計画はおかしい。私とあなたとの単なる個人的なやりとりで終わる問題ではないはず。近日中に公開質問状を持ってきますので、文書で回答を下さい」
 と、課長補佐に宣言してしまった。

 早速帰って、今までの資料を調べなおした。公開質問状として明文化するためには、裏付けもとらなければいけない。図書館へ行って、河川法や治水に関する書籍を探した。ニフティサーブの法律フォーラムで、過去の水害裁判の判決なども収集した。まさに資料との格闘の日々が続いた。同時に必要な県の資料を次々に請求した。

 資料請求の件数は七十件近くになった。
 二月二十二日、知事宛に「辰巳ダムに関する公開質問及び要請」を行った。回答期日を一週間過ぎて、案の定、論理すり替えの回答が届いた。県がまともな説明ができないことが明瞭になったわけだ。


【県、河川整備基本方針策定へ】

 多くの資料を読みながら、次第に私の頭の中で、辰巳ダム計画の不当性が鮮明になって行った。同時にこうした県の河川行政を監督指導している建設省への疑問も芽生えていった。
 ちなみに現在、全国の二級河川の多くに工事実施基本計画はない。浅野川(大野川水系)にも工事実施基本計画はない。金沢市の治水を考えるなら、犀川・浅野川両河川で同時、同水準の計画を作らなければならないはずだ。

 この工事実施基本計画不在という問題は、市民感覚では理解しづらい法律問題であるが、法への忠誠を宣誓している行政側には相当な痛手で、後日、県は新聞発表で、県内六十河川について新河川法(平成7年)に基づく河川整備基本方針を平成十三年度までにつくることを表明した。この新聞報道を読んだ知人から「これは、お前の成果だ。良くやった」と激励の電話を頂いた。
 新河川法では、従来の河川法による工事実施基本計画を発展させ、環境への配慮、計画立案への住民参加を義務づけている。治水や利水だけで河川行政はやれないことを法で定めているのだ。


【建設省の国会答弁】

 こうした行政資料請求による調査・分析・問題提起は、開かれることになった県と市民との意見交換会で県をしばり、市民側の質問に県は真正面から回答せざるを得なくなった。県自らが作った資料を元にその根拠を求めるのだから、虚偽回答はできない。市民側の正当な質問にほとんど説明ができず、一般論で逃げるしかなくなった。市民側の詳細で具体的な質問に対して、県の漠然とした一般論で答える奇妙な議論が続いた。
 工事実施基本計画問題で、県は「好ましくないが違法ではない。罰則規定がないから違法ではない」などと答えた。この問題は、県の回答であっても内容次第で、建設省がらみの国会の論戦に移行し、国の河川行政へ跳ね返る。
 事実、この工事実施基本計画不在が長良川河口堰問題でも明らかになり、自民党の代議士が質問に立って、当時の建設大臣が答弁不能になったことを知った。
 この問題を調べていた当時、私はパソコンの前で全身が震え、キーボードの上で指が定まらなかった。「大変なことに直面した。これは国を相手しているのかもしれない」という思いにかられた。同時に、後に退けない所に自分がいるのを感じた。

 この質問に、県は、回答を用意するためにわざわざ建設省を訪ね、指導を仰いだ。市民側が質問を提出した後、河川開発課の幹部がよく建設省へ出張していた。その結果「好ましくないが違法ではない」という建設省お墨付きの「国会答弁」を意見交換会でおこなったわけだ。県は最後まで根拠を示すことはできず、「建設省の見解だ。担当者に脈々と流れている思想だ」という言い方に終始した。(過去のダムや河川工事が単独でバラバラに行われ、逆に洪水原因になったことで、治水と利水の整合性を確保するため導入されたのが、工事実施基本計画である。工事実施基本計画不在の河川管理は、明治時代の河川行政を意味している。)


【ラスプーチン・高堀】

 先に紹介した教育委員会の資料によると、県文化財保護審議会が結論を出したとされる会議の前に「合同説明会」と称する会議が何度も開かれている。辰巳用水について議論するのなら、それは良しとしなければならないのだが、開かれた会議のすべては、審議委員や関係学界の委員が、河川開発課からダムの説明を受ける会議だった。これは「各会議の招集状」「被招集者一覧」の資料から判明した。

 文化財保護審議会は辰巳用水の文化財的価値を、調査・検討すべきであるのに、教育長の召集に応じて河川開発課から説明を受けるばかりで、辰巳用水について、独自の審議会を一度も開いていないことが資料で判明した。説明会に参加し、辰巳ダム建設計画の是非、代替案の検討、建設位置変更の提案など、県と押し問答をしているのだ。
 しかるに県文化財保護審議会の「破壊やむなし」の結論はいかに導き出されたか?

 『加賀辰巳用水』なる分厚い本がある。文化財保護審議会が「破壊やむなし」の結論を出したあと、資料保存として三千万円で作られた調査資料である。この冒頭で、高堀なる人物が序説を執筆し、辰巳ダム建設計画が表面化してから、この調査資料作成までの経過を五十頁にわたって書いている。この人物、県考古学研究会代表として県文化財保護審議会会長職務代行の肩書きを持ち、辰巳用水調査委員会(小委員会)の委員長をしていた。
 この文章を丹念に読んでいくと、彼と県とのやりとりが鮮明に浮かびあがる。
 最終局面、いわゆる結論を出したとされる「小委員会」と「審議委員会」について、彼は自分自身も登場する場面をどう記しているかを見よう。

 《小委員会》
 
「九月十二日、……高堀が交渉経過を報告し、本回で結論を出すことにした。……これをめぐって論議の末、第二案Bを少数意見、条件づき案を多数意見として両論併記で審議会に報告することとし……」とある。
 つまり、議論がまとまらず、《両論併記で報告する》のが結論であったことを明記している。審議会の場面はどうか。

 《審議会》
 
「両論を併記したが、……ことに対して逡巡せざるを得ない多数委員にかわり、高堀の責任で決断したものであるが、もとより小委員会の結論であると述べた。」

 これで明らかであろう。高堀は、辰巳用水破壊にとまどう多数意見をおさえ、小委員会の結論をも無視して、虚構の小委員会の「結論」をでっちあげたわけである。「考古学の徒」が過去の事実をねじ曲げた。高堀の報告は、審議会でも紛糾したはずである。だから、審議会の議事録はないのである。

 この会議に委員として参加していた木村久吉氏も「会議はもめた。翌日の新聞で建設に同意したことになっているのを知って驚いた。」と語っている。結論が出せないほど紛糾したのである。こうして文化財保護審議会の「破壊やむなし」の「結論」ができあがった。これが真相である。その裏に、高堀と県との間にどのような駆け引きがあったかは、自身が「単独で交渉した」と記述するだけで、一切不明である。当時、県内で発見された史跡調査にからんで様々な噂が流れ、彼は、関係者から「ラスプーチン」と呼ばれた。(学識経験者とか専門家と呼ばれる諸先生の中に、新しいラスプーチンが生まれてはいないだろうか。県外に住む知人の大学教授は、審議会等に参加した経験から、自嘲気味にこうした人のことを学識芸者と呼んだ。)

 この「やむなし結論」のあと、『加賀辰巳用水』をまとめるために、調査団(団長:高堀)が組織され、翌年三月現地視察をしている。傑作なのはその時の高堀の記述。
 「委員のすべてにとって隧道内に入ったのは初めての体験……」と。
 この問題すべての最初に現地調査があるべきなのに、壊すのを認めてからぞろぞろ隧道に入ったという。その記述を読んでいたとき、場面を想像して思わずふき出した。
 こうした県文化財保護審議会をめぐる一連の流れが意見交換会で暴露されたが、県教育委員会の課長は、堅い表情で「資料は残されておらず、慎重に審議されたものと理解しています」と答えるのみだった。


【まだまだ続く情報公開】

 県評価監視委員会が付けた五条件には、犀川と浅野川を含めた治水対策、辰巳用水の調査研究など、重要な部分で私が直接調べた問題提起が反映されたことで、資料と格闘した努力の一端は報いられたと、自分を誉めている。しかし請求したいくつかの資料は、まだ未整理として未公開のままである。
 犀川ダム計画全体の資料、犀川・浅野川の水利権確定に関する資料がそれである。

 犀川ダムは、昭和四十一年に完成し、百年に一度の洪水に対応すると言われていた。このダムと辰巳ダムの関係は犀川ダム資料で解明される必要があろう。また、二十本近い用水へ全流量が流され、夏季に渇水が問題になる犀川の現状を改善するためには、三十年ほど前に確定しているはずの各用水の水利権を解明しなければならない。
 また、高畠地区など、金沢市内の各地で頻発している浸水については、その地域においてどういう経過で宅地開発がされ、内水排除対策がどうなっていたかを見る必要がある。いま、解明に必要なの資料請求を金沢市に対しておこなっているところである。


【付記】

 県文化財保護審議会の動き、辰巳ダム事業費の推移、関係年表など、重要な事項をまとめたものをそれぞれ作成してある。おそらく辰巳ダム問題に関わる基礎資料となるもの。希望の方は連絡をどうぞ。



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