大阪で講演
「辰巳ダム問題と情報公開」


この文章は、大阪で開かれた「関西ダム問題協議会」の勉強会に招かれて講演したもの。
VIEW誌への投稿(「私の情報公開ものがたり」)をベースに、裏話などを紹介した。
前日、大阪に着いた。槇尾川ダム問題に取り組んでいる南さんの出迎えをうけ、一緒に
大阪府の情報公開公開センターを訪ねた。窓口訪問記を参照いただきたい。

    大阪府情報公開の窓口訪問記「情報公開」にもどる

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情報公開条例の活用と辰巳ダム問題の解明
      ◆2000年1月22日:講演内容
     ―――渡辺 寛(於:大阪労働センター)
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■金沢の地形
 ダム問題とか治水とかは、土地勘がないと、よくわからない。金沢市は南東に山。北
西に日本海。全体になだらかな傾斜になっている。この傾斜に2本の浅野川、犀川が流
れている。北のほうが浅野川、南にあるのが犀川。
 浅野川は女川と呼ばれ、犀川は男川と言われていますが、流れの様子や上流部の景観
は対照的です。犀川は、深い渓谷を作り、ダムを作りやすい地形があり、大小5つのダ
ムがあります。
 この崖に沿って、江戸時代の初期に作られた辰巳用水が金沢城や兼六園に水を送って
いるのです。上流部は4キロの水トンネルになっています。
 浅野川は全体的に緩く、ダムを作る場所がないので、本格的なダムはない。この地形
上の特徴は、金沢の治水を考えるキーポイントですので、頭に入れておいて下さい。

■ナギの会のこと
 私は、もともと自宅の近くに30年ほどまえに干拓された河北潟をベースに、水草で
レッドデータブックにも載っているミズアオイの調査や繁殖、それと日本では絶滅寸前
といわれていて、石川県内では既に絶滅宣言をされているオニバスを田圃の下になって
いる用水を掘り起こして種を探し、発芽させて復活させよう、という問題意識で活動し
ています。
 本来なら、昨年の秋には種が見つかる予定だったのです。全労済からの助成も受けて
いて早くオニバスの種を掘り出すのに焦っていたのですが、辰巳ダム問題に引っ張られ
て、オニバスはまた1年延びてしまいました。

辰巳ダム反対運動との出合い
 辰巳ダム反対運動は、20年の歴史があります。全国的にも知られておらず、金沢市
民でもおそらく、最近の動きの中で、改めて「まだそんな話があったのか」と驚く方も
多かったのです。実は、私も最近までそんな一人でした。
 辰巳ダム問題には、辰巳用水という文化財が絡んでいます。ダムを作れば、江戸時代
の初期に作られた水トンネルが壊されるという問題です。だから県も慎重でしたし、金
沢市民も賛成という雰囲気は昔からなかったのです。
 また、この辰巳ダムの予定地は、多くの市民にとって、子供の頃からの憩いの場所で
す。きれいな渓谷美を持つ場所で、金沢市の中心から車でほんの15分も走れば着きま
す。私も反対運動の方たちとはつきあいがありましたが、「金沢の治水とか、生命と財
産を守る」ということもあり、どうも積極的に関われなかった。
 つきあい程度では悪いなとは思っていたのですが、もう一つの理由は、正直言ってダ
ム問題は雨量とか、流量とか、数字が出てきたりして良く判らない。いつかじっくり調
べて考えたいという思いはありました。

■資料集め、情報公開請求
 昔から反対を唱えている先生から、少しづつ資料を集めました。それを見ながら感じ
たのは、その資料の中に、自分たちの声明とか陳情書とか要望書、新聞のコピーはたく
さんありましたが、県の主張とか、ダムに関する基礎的な資料が全くないことに気が付
きました。
 これでは、辰巳ダム問題そのものを考えることはできないな、と思いました。資料が
ないなら自分で集めるしかありません。そこで、県の情報公開窓口を訪ねて、辰巳ダム
計画の資料を請求したのが、私が辰巳ダムに関わる発端でした。1998年の9月、1
年4カ月前です。
 私が自分でも偉らかった思うのは、単なる辰巳ダム計画のパンフレットをもらうので
はなく、国の助成を受けた計画ならば、当然大臣認可があるはずだからと、元の資料を
請求しました。当時はそれほど問題意識もなく、「1から見たい」程度の意識で、窓口
の方に相談して、「すべてを見るにはどうすれば良いか」と聴いて請求したのです。
@建設大臣への認可申請書 Aダム計画書 B大臣の認可書 C部内の稟議書、伺い書
 の4つで、辰巳ダム計画や申請当時のことが判るだろうと思ったわけです。
 この時、ついでに文化財保護審議会が「辰巳用水破壊もやむなし」という結論を昔出
していたので、当時の文化財保護審議会の議事録と、当時作成されたアセスメント報告
書を請求しました。
 すぐ資料が手に入りました。数字が一杯で、見たことのない漢字とか用語がたくさん
並んでいます。これは困ったな、正直そう思いました。
 しかし、おかしいなと思ったことがありました。辰巳ダム計画を建設大臣に申請した
のが平成1年。認可が3年になっている。辰巳ダムはもっと前に決定しているはずだと
思っていましたから。まあ、暇になったら調べてみよう、と放っておきました。
 しばらくして、建設省の指導で石川県でも、公共事業評価監視委員会が設置され、辰
巳ダムも対象になるとの報道があり、第1回の監視委員会に傍聴してみました。そこ
で、県は辰巳ダム事業を説明するのですが、工事着工を昭和58年と言っているので
す。
「おかしいぞ。大臣認可もないのに工事着工ができるのか?」そう思いました。
 この事に気が付いたのは、私だけだったのです。この日から、忙しくなりました。

■資料と格闘
 辰巳ダム計画書を念入りに読み出しました。
 河川法の手続きで申請されているので、図書館から河川法関係の本を借りてきて読み
出す。まあ大変でした。
 河川法の16条という条文に、工事実施基本計画というのがでてきます。
 工事実施基本計画というのは、資料にも付けておきました。施行規則も載せてありま
す。これを見ると、ダムを作るにも河川改修をするにも、この計画を持たなければでき
ません。犀川にそもそも工事実施基本計画というものがあるのだろうか。すぐに、資料
請求をしました。
 石川県の公開手続きは、直接窓口をたずねなくてもファックスでも受けつけるので、
自宅から簡単にできます。その日から、家で考えていて、思いつくとすぐファックスを
する。読み、考えながら資料請求する。そんなことのくり返しの毎日でした。
 計画を見ていると、どうしても判らないことが出てくる。最初は自分で考えていまし
たが全く手に負えない。
 工事実施基本計画のこともそうですが、計画書の中に「妥当投資額」の計算をしてい
る中で「治水、年平均被害軽減額」として、22億円と書いてある。全く根拠なしに突
然出てくる。いろいろ探すと、「洪水調節計画説明書」という中で「既往災害額調書」
として、昭和38年から53年までの実際の被害総額が一覧表になって出てくるのです
が、総額は27億円となるのですが、年平均1億7千万円にしかなりません。
 実際の被害が1億7千万円なのになぜ、治水年平均被害経験額が22億円なんだ?
 こうなると自分で考えても限界があります。分からないことは県に聞くのがいいと、
訪ねたのが県の河川開発課。ここなら教えてくれるだろう。
 昨年の2月10日のことです。ほんの1年前のことです。
 ここで、担当者がうまく説明していれば、私も納得していたのでしょうが、担当の課
長補佐の彼曰く、「良く分かりませんねえ。なんせ昔の計画だから」と。それだけなん
です。
 工事実施基本計画の問題も、申請が平成元年。認可されたのが平成2年なんです。こ
ういう計画なしに辰巳ダム以前にいくつものダムができている。おかしい。
「昔はそうなっていたんじゃないですか?」課長補佐はそう言うだけです。
「それじゃ昭和58年の工事着工ってなに? 大臣認可がないのに」って聞いても、
「分かりません」と言うだけです。本当に知らないのです。
 分からないのなら、上司に聞けばいいと思うのですが、役所の人間は、特に肩書きな
どがつくと簡単ではないようです。難しい人間関係があって、簡単ではないようでし
た。
 この担当者は、私より3つ下で、人当たりのいい。和やかに話に付き合ってくれまし
たが問題はいっこうに解明されない。
 この人、今まで辰巳の会が県と交渉していた時も、親切な方だったようで女性軍から
は人気がありました。
「あの人はいい人だ。玄関まで送ってくれた。課長はいやな人だけど」って。
「急な話ですぐに答えられないだろうから、1週間後に来ますから調べておいて」とい
くつかの宿題を出して帰ってきました。

■人相が変わっていた担当者
 1週間たちました。2月17日。
 人のいい課長補佐は、その日は前回と比べると人相が変わっていました。
 げっそりしていて、まったく元気がないのです。覇気がなく目もうつろ。ほとんど寝
ていないという様子でした。
 ちょうど県議会が始まっていて、辰巳ダムの質問も出るのだそうです。彼がその答弁
書の原稿を作ることになっていて、「もう私は引退だ。ワープロも打てないし……」
なんて言ってましたが、激励しながら、「で先週の宿題、どうなりましたか?」と聞く
と、「わかりませんでした」って言うのです。これにはこちらが拍子抜けしてしまった
ですね。
「これから監視委員会にもかけるんでしょう。委員から私みたいな質問が出たらどうす
るんだ?」「出たら考えます」「あなたが答える問題ではないでしょう?」「課長にま
かせば?」「そうも出来ないんですよ」なんて調子でした。
ここで、茶飲み話をしていても始まらないので、「この私の宿題は、あなたと私の個人
的な話に終わるのはまずいようなので、私の問題点を公開質問という形で持ってきます
ので、県の見解を文書で下さい」と言って帰ってきたのです。

■公開質問へ
 この日から、私は大忙しでした。
 公開質問をするのだから、こちらも根拠を明確にして、県がどうしてああいう返事し
か出来ないか、ある程度調べておこうと、猛烈に本を読みました。
 私、今53歳ですが、大昔の受験勉強以上の馬力がでたのではないかと思いました。
徹夜が続きました。パソコンの前で資料を読み、メモを打ち込み、おそらくご飯も食べ
ずに格闘していたと思います。
 河川法など条文の解読とか、河川法関係の本。河川法が裁判になった例がないか、判
例を集めたりしました。

テーマは10以上に
 公開質問状を作るために調べたテーマは、辰巳ダム問題だけではなく、かなり多岐に
渡っていました。辰巳ダムを県の資料から調べたいという動機から深みにはまって行き
ました。ざっと当時考えていたテーマをあげますと10以上になります。
@工事実施基本計画とはなにか。
A明治29年(1896)成立の旧々河川法の成立
B昭和40年(1966)の旧河川法改正
C用水などの水利権とはなにか。
D慣行水利権と許可水利権
E情報公開制度
F蜂の巣城紛争(熊本・下筌松原ダム問題=ダム反対の初の裁判闘争)
G文化財保護審議会の役割
H判例研究・河川管理上の瑕疵(河川被害と治水、法律)
I多目的ダム法と河川法
J土地収用法とダム問題
K1級河川と2級河川、普通河川
L下流の内水被害と都市計画上の宅地造成の関係
などなど。

記者会見と報道姿勢
 県への公開質問ですが、2月22日に持っていきました。回答期限が3月3日の雛祭
りとしました。事前に問題点を解説した文書を報道機関に送っておきましたが、県議会
の最中で、しかも選挙前というタイミングも重なって、ほとんどすべての新聞、テレビ
が取材にきました。しかし、私の公開質問状の内容は、ちょっと意地悪な書き方をした
ため、記者の反応はイマイチでした。
 ある地方記者は、「工事実施基本計画って、これそんな大きな問題なの? 県が問題
ない、って言ったらあなたはどうするの?」なんて言うのです。
 私も意地悪で、「問題が何か、あなたが考えて下さい。私自身は、明確な見解を持っ
ているが、県の回答が来た時点で発表したい」と。
 なぜ私がこうした言い方をしたかというと、報道への批判があったからです。今まで
さまざまな活動をとおして、報道機関の限界というか、記者諸君の勉強不足、というよ
り、報道現場をよく知っていましたので、わざと意地悪な問題提起をしたのです。
 ちょっと脱線しますが、NHK出版から「ニュースとは何か」という本が20年ほど
前に出ています。アメリカ人の著者は、この中で、ハロルド・エバンズというジャーナ
リストの言葉を引用しています。
「どこかで誰かが押し隠したがっていること、これがニュースだ。それ以外は宣伝さ」
実に明解に報道の本質を突いています。
 ニュースというおびただしいもののほとんどは宣伝なんですね。行政の宣伝もあれ
ば、市民団体の宣伝もある。どこかの団体が動かなければ記事にもならない、報道もさ
れない。なぜ報道記者が独自に調べ、問題点を整理し、読者に分かりやすく報道しない
のか?昔からの私の報道への疑問でした。
 歴史を振り返ってみても、記者が苦労して調べ、問題を追及してきたものは、社会を
変えてきました。アメリカ大統領をも辞任に追い込むことがあるし、時の首相をも辞任
に追い込んだことがありました。社会制度をも変えてきたのです。これが報道の役割だ
と思うのです。

■工事実施基本計画のこと
 話を元にもどします。
 公開質問に対して、地元テレビの1社だけが事前に私の家をカメラマンを伴ってやっ
てきて問題点をわりと正確に把握していました。電話取材で建設省の見解を取ったり、
課長へ工事実施基本計画について「それは事前に作らなければならないものなんです
ね?」と厳しい質問をしていました。
 画面で課長は、困った顔でニヤッっと笑い、マイクを避けるような小さな声で、
「あ、アトで……。まあ、後ほどお返事しますわ」と言っていました。私はこの課長に
「アトデ課長」とあだ名を付けました。
 かなり期日を過ぎて、県から質問状の回答がありました。案の定すり替えと意味のな
い回答でした。
 私が、この工事実施基本計画不在という問題を発見したとき、たしか午前3時頃だっ
たと思いますが、突然全身が震え始め、パソコンのキーボードが打てないのです。風邪
かな、と思ったのですが、これ武者震いでした。
 「ひょっとして、今やっていることは、日本の河川行政に真っ向から楯突いているの
かもしれない」と思いました。これは面白いと思いました。

■評価監視委員会で辰巳ダム継続審議
 後日、評価監視委員会が開かれ、108件の県関係の公共事業が監視委員会にはから
れ、唯一、辰巳ダムだけが継続審議となりました。同時に事業者である石川県に対して
「反対運動が長く続けられてるため、市民と十分意見交換をしなさい」との条件を付け
たのです。本来なら、委員会が独自に市民側の意見を聞き、県の主張と併せて、独自に
審議するのが筋だと思うのですが、逃げた訳ですね。
 意見交換会とその経過については、辰巳の会のホームページに厖大な資料になって経
過がよくわかりますので詳しくはふれません。
 当初、市民側に「監視委員会といっても御用機関だ。これに参加することで、計画へ
のお墨付きを与えるだけだから参加すべきではない」というような意見もありました。
 しかし、参加する市民側としては、問題はあるとしても、対等に行われることとか、
期限を切らないとか、監視委員が必ず複数参加すること、共同の責任で報告文書をつく
ること、監視委員会での市民側の補足意見の発言も認めるなど、県にとって厳しい条件
を認めさせて、この意見交換会への参加を決め、みなさん大奮闘しました。

■県と市民側との意見交換会
 辰巳ダム反対の市民はもちろん、疑問、意見をもつ市民と事業者の対等な意見交換会
として歴史上初めて行われることになったのです。土木コンサルタントの中さんは、技
術者として意見を述べ、県の見解を聞くという立場で参加しました。私も行政資料その
ものの矛盾について説明を求めるという立場で参加しました。
 ルールは、数日前に市民側から質問項目を県に出し、交換会当日に県が答え、議論す
るという形で行われました。
 第1回の意見交換会のテーマは、「工事実施基本計画問題」です。当時、河川開発課
の課長以下、何人も建設省へ出張していました。あとで分かったことですが、この工事
実施基本計画の法的問題について指導を仰いでいたわけです。
 この問題について、意見交換会で県はこう言いました。
 「適切ではないが、罰則規定がないので違法ではない。これは建設省の見解です」
 こちらは、「建設省の見解というのは分かった。その法的根拠は何か? 建設省はど
う説明しているのか」と執拗に求めました。県はよほど困ったのでしょう。
 「河川局の事務担当者に脈々と流れている思想です」と言いました。
 なぜ、建設省は法的根拠を聞かれて、思想だと逃げたのでしょうか。答は簡単です。
全国の河川の多くに工事実施基本計画がないからなのです。法で定められた手続きを踏
まずに全国で公共事業が行われてきたからです。
 今さら「法的に問題がある。善処したい」なんて言えない。全国のダムや河川工事が
みんな違法になってしまいます。だから、この工事実施基本計画不在とダム建設の法律
違反問題が本格的に国会で論議されてこなかった。河川法ができてから30年以上たち
ますが、延べ何千人もの国会議員がいたのに、誰一人として、気のついた人がいなかっ
た。
 唯一、例外があります。
 長良川河口堰着工のとき、長良川で工事実施基本計画がなかった。長良川河口堰は1
988年着工していますが、工事実施基本計画がなかったそうです。
 当時の北川環境庁長官が、1992年、閣僚懇談会でこのことを国土庁長官に質した
けれども、国土庁長官は返答できなかった。
 北川氏は、長官を降りたのち、議員として決算委員会でこの問題を質問したそうです
が、国は明確な回答をできず今日まできています。よく言われる答弁不能状態というこ
とです。
 こうした河川行政の根本問題を、石川県が建設省の指導を得ないで答えられる筈がな
いのです。私が偶然に発見したこの問題は、大変な問題だったのです。これも資料請求
で始めて分かったことで、本来なら永久に表に出てこなかった問題でした。
 この「工事実施基本計画」というのは、現在の新しい河川法では「整備基本方針」と
「整備実施計画」という2本立てになって織り込まれていますが、市民側にとって大き
な武器になる可能性があると思います。

■評価監視委員会の結論
 辰巳ダムについて公共事業評価監視委員会は、事業を認めましたが、委員長は、わざ
わざ説明をしました。「他の事業107件については、『妥当』という表現を使った
が、辰巳ダムでは『県の事業は理解できる』という表現です。これは『消極的賛成』と
いう意味です」と。
 これは5つの付帯条件が付けられたからです。監視委員会の当日、事業継続の結論が
出されたため、市民側にはとまどいがありましたが、県の職員も重苦しい雰囲気でし
た。翌日の新聞は、各社同一論調で「辰巳ダムいばら道」という、付帯条件の重さを報
道していました。
 条件の一つに「犀川、浅野川一体とした金沢の治水を考えなさい」というのがありま
す。はじめに金沢の地形を説明したように、二つの川の上流に降る雨で洪水を考えなけ
ればなりませんが、辰巳ダムで洪水を止めていても、浅野川から溢れた水で、金沢市内
は大洪水になっている。辰巳ダムを作っても洪水は止められない。犀川のデータに合わ
せると浅野川にダムがいるし、浅野川のデータに合わせると辰巳ダムは要らなくなりま
す。奇妙な計画になります。簡単に二つの河川を一体にした金沢市の治水なんてできな
いんです。
 また、「辰巳用水の移設をしなさい」という条件もあります。辰巳用水は水トンネル
ですから、山を移動させることになります。簡単ではありません。「生物多様性の調査
をしなさい」というのもあります。これも簡単ではありません。通常、建設費の1、2
割かけなければできないと言われています。こういうふうに大変重い条件がつけられま
した。これで辰巳ダムは事実上止められるかもしれません。県の河川開発課の方たちが
重苦しくなるはずです。

■文化財保護審議会のこと
 私の情報公開で、もう一つ大きな成果と思われるのは、文化財保護審議会の問題で
す。話のはじめに触れましたが、辰巳ダムが出来ると辰巳用水が水没し壊される。です
から、県はこのダムを作るにあたって、まず最初にやったことは、教育委員会へ働きか
け、文化財保護審議会から同意を取り付けることでした。昭和55年。今から20年前
でした。
 当時の文化財保護審議会の記録は全部で3つありました。これで全部だというので
す。この3つの資料をみても、どこにも正規の文化財保護審議会の議事録がないし、
「辰巳用水破壊もやむなし」と決めてはいないのです。そういう記録がない。
 本来事業者である県とは独立して、文化財の保護について審議すべき文化財保護審議
会の委員のみなさんがこぞって、県や教育委員会が召集する会議に出席して、辰巳用水
ではなく、辰巳ダム事業について議論しているのです。「もっと上流に作ったら、辰巳
用水が壊れないで済む」とか、代替案を提案したり、費用を議論している。
 また、文化財保護審議会の中に、辰巳用水調査小委員会というものを作るのですが、
これも審議会へはかる為の結論を出したときの一回の会議しか開かれていないのです。
それも「両論併記で審議会へ報告する」というのが結論だったのです。
 それがなぜか、小委員会委員長の高堀という人が、「辰巳用水破壊に逡巡する多数委
員に代わって私の責任で決断した」と書いてあるように、文化財保護審議会の当日、小
委員会の報告として「やむを得ない」と報告するのです。
 当然、会議はもめます。だから議事録がないのです。審議委員になっていた先生の話
では、「会議はもめた。結論がでなかった。しかし翌日新聞で、辰巳用水の破壊やむな
しと審議会の結論として報道されているのを見てビックリした」。当事者がそう言って
いるのです。
 記録上もこの先生の言っていることが正しいことが分かります。まさに、でっち上げ
の結論だったのです。教育委員会からの諮問もなければ、意見具申という行為も文化財
保護審議会はやっていない。
 こうしたことについて、意見交換会で指摘されると、県の担当者は、まったく沈黙。
どう答えて良いかわからないように、黙ってしまいました。この文化財保護審議会の結
論が、辰巳ダム建設の事実上のGOサインとなりました。
 この年から、反対運動が始まるのですが、当時からつい最近まで、正確には「辰巳ダ
ム反対運動というより、辰巳用水愛護運動」だったのです。もし建設予定地が100m
上流に変更されていれば、15年前にダムは出来ていたでしょう。

■辰巳用水愛護運動から辰巳ダム反対運動へ
 この辰巳用水愛護運動がいま、ダム建設反対へ変わりました。雨量と洪水の数字を市
民が学んだからだと思います。水文学と言われていますが、気象、降雨データ、洪水流
量など、今ではどこのダム反対運動でも頭を悩ませている、この難しい問題で、県の主
張に矛盾を見つけたからです。だから、「洪水から生命と財産を守る」というダム建設
の目的がおかしいから、どうどうとダム反対と云えるようになったのです。

■土地取得、共有地運動
 最後になりますが、こうした辰巳ダム問題が全国に紹介され、私など大阪まできて話
すなんてことになった理由は他にあります。県のいい加減なデータの扱いとか、法律的
手続き違反などがあるのはもちろんですが、今日のチラシにありますように、共有地の
取得があります。反対派が重要な土地を手に入れたからです。辰巳の会が出来ていても
反対派の土地はありませんでした。ここに一人の女性が登場します。少し紹介します。
辰巳ダム反対運動の表には一度も登場したことのない方です。(以下省略)

    --------------- おわり ---------------

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