「控訴取り下げ=敗訴確定」の謎
蜂の巣城の闘いの中、最大の奇怪な謎である
1960(S35)年5月28日、「事業認定無効確認訴訟(東京地裁)」が提起された。この裁判は、80件近くの裁判の中でも最も中心となるものであった。1963(S38)年9月17日、判決は敗訴(石田哲一裁判長)。
原告は9月23日東京高裁へ控訴するも、同年12月11日、「休止満了」という原告からの「控訴取り下げ」で第一審敗訴判決が確定する。
「法には法」として、毅然と法廷闘争を闘っていた室原知幸氏に何があったのか? 控訴は、なぜ取り下げられたのか?
以下の資料から、この疑問に関する記述を引用する。
◆新資料⇒後段に紹介。
2000年12月放送された福岡毎日放送の取材で明らかになった。これまでの「定説」が覆った。
【資料】
@「下筌ダム問題−反対闘争の経過と論理−」西岡久鞆・上野裕久・中尾英俊・岡本宏 1966(以下「下筌ダム問題」という。)
A「公共事業と基本的人権」下筌・松原ダム問題研究会編 ぎょうせい 1972
B「砦に拠る」松下竜一著(筑摩書房 1977)(引用はちくま文庫版1989による)
■【下筌ダム問題】より
反対派は直ちに控訴した。しかし、何故か裁判を途中で放棄し、(昭和39年4月10日)この判決は確定した。それは弁護士のミスといわれているが、もしそうだとすれば事業認定訴訟が下筌闘争の重要な一つの柱である点を考えれば余りにも大きなミスであった。(14頁)
直ちに控訴の手続きがとられたことはいうまでもない。ところが、この控訴審の途中で、原告側が出廷せず、期日の指定もしなかったために打ち切られ、(民訴238条による取下げ)いまでは確定してしまっている。原告側の内部でどんな事情があったかしらないが、この判決が基礎となってその後、土地収用の裁決、代執行と国側の一方的ペースで事が運ばれてゆくことになった。この意味で、この裁判が一審だけで確定してしまったことはなんとしても惜しい気がする。(76頁)
■「公共事業と基本的人権」より
(座談会 肩書きは当時)
森=室原知幸側代理人、広木=福岡法務局訟務部長、石田=東京地裁判事
森 (中略)…それで、これは控訴して、控訴の中では勝てるというその確信はあったわけです。しかし、控訴が途中で、いわゆる休止満了ということになってしまったわけです。
広木 わざとされたんですか、それは。
森 これは、プライベートな問題がはさまって、ある人の名誉に関する問題ですので。
広木 控訴をわざと休止満了ということに意識的にする場合があるんですけれども、期日の徒過ですか、弁論期日を徒過して、休止満了になってしまったと?
森 そうです。これは、室原さんの意志に反した休止満了。これは、あえて申し上げませんけども、あるいは、休止満了で終わったということは室原さんにしても、われわれにしても、非常に不本意であったし、残念であったと、室原さん死ぬまで思っていたでしょう。それで、一応第1審では形の上では負けたけれども、内容的には、当然これは勝っておると、だから、控訴審の中では必ず勝てると、いうふうな確信をもっておったわけですから。(中略)…控訴審を失ったということは、非常に痛手であったわけですね。
広木 私の理解は、そういう休止満了を意識的におやりになったんじゃないかと、(中略)有利、不利たとえば、東京高裁に出廷して、つづけてゆくよりは、地元の収用委員会で存分に闘ってゆく、といって、控訴を取りさげるわけにはいかんと、だからして休止満了という形で、いわゆる法廷闘争の継続というものは一応断念して、熊本の収用委員会の審理の場で、もう一つやってみようかと、それは、なるほど一応不利にはなったとしても、というような戦術転換が行われたんじゃないかと、いうふうにみたんですけれども、それは違うんですね。
森 違います。だから、休止満了になっておるということも、現実に知らなかった。だから、あす休止満了になるという日にわかったわけです。しかし、それが判明したのが、夜分でした。だから、あすということは、今夜の12時ですね。今夜わかったのですから。もう、万やむを得ないと。(477-478頁)
石田 (判決に対する批判が多かった)これはある意味では、私は同感です。裁判した少なくとも私一人は自分自身納得のいくというか、充分な判断であったと思えませんでした。判決では国側のほうが積極的に正しいんだということをいわなきゃいかんという形になるもんですから。両方に弱身があると感じておりましたけれども、(中略)
自分自身も…(中略)…安心できる結論ではなかった。したがって控訴されたことは当然だし、控訴審でどういう具合になるか、これは自分のやった裁判に興味をもつのは、殊に一生懸命やったという気持ちをもつもんですから、…(休止満了)は本人の意思でなく裁判が確定したということを聞いて、私自身もがっかりというと悪いですけれども、もっと上の裁判所のほうで十分審理がなされて室原さんの期待に答えてよかったんではなかろうかという感じをもっております。(505-506頁)
■「砦に拠る」(松下竜一著)より
(著者=松下竜一氏が、当時の裁判長、石田氏を訪ねた様子の記述部分)
「ひとつお訊きしたいんですが――」
私は躊躇い勝ちに切り出した。
「あなたが国を勝たせるに当たって、国からの圧力といったものが一切無かったと言い切れましょうか」
「そういう事なら一切ありませんでした」
言下に石田氏はいい切った。
「あれは全く裁判官としての私自身の社会的良識による判断です。あの訴訟でもし国を敗訴させていたら、あれ以降ほとんどの公共事業が停滞することになったでしょう。僕の判断は正しかったと思います。ただですな――」
氏は、少し間を置いて言葉を継いだ。
「あなたも僕の書いたものには目を通されて御存知と思うが、僕はあの判決に充分な納得を持ったわけではなかったのです。証拠不十分、審理不尽の心配がありました。だから僕としては、室原さんがあれを控訴審、更には上告審と持っていく中で、上級審がどんな判断をくだすか、非常に期待しておったわけです。あの判決理由書も、これこれこういう問題点があるという事を、実は室原さんに示唆して、これで上告審を争いなさいという積もりで書いたんだが……まさか、あんな意外な結果に終わろうとはねえ……」
石田氏がいう意外な結果とは、控訴審に関してである。それは、意外なというよりはむしろ奇怪なといい換えたい程の経緯であった。
室原知幸は一審敗訴の後、直ちに東京高裁に控訴手続きを取り、飽く迄も諍う意欲を強めていたことは、前に掲げた佐藤武夫宛て書簡からも察しられる通りであった。彼が第一審の敗訴判決にそれ程動揺を見せなかったのも、控訴審での闘いに期する処があったからであろう。
だが、十二月七日の夜遅く、室原知幸は東京の坂本泰良弁護士から一通の電文を受けて茫然と立尽くす。
控訴が本日を以て休止満了となるが、いかがしたものかという駭くべき問い合わせであった。正に寝耳に水の内容である。訴訟の休止満了とは、公判期日に当事者が出廷を怠り、更にその後一定期間内に新たな公判期日の申出を為さない時は、もはや訴訟の意志を喪ったとして取下げと看做されるのである。その期限が今夜だという電文を持って、さすがの知幸にも今更打つべき妙手は無かった。
「森君、これは一体どういうことだ!」
電話でいきなり烈しい声を浴びせられた武徳も、茫然として絶句してしまった。彼には、何故そのような起こり得べからざる事が起こってしまったのか見当がつかなかった。
この日を以て、事業認定無効確認請求訴訟は休止満了し、第一審の敗訴判決が確定する。知幸の落胆にはいいしれぬものがあったろう。何故本件がそのような事になったのかは、それとも全く迂闊な初歩的なミスであったのか、今も関係者その事に触れると口を緘している。孰れであれ、弁護士としては宥されぬ背信行為には違いなかった。 (272-274頁)
◆新資料 2000年12月放映。福岡毎日放送制作。
……休止満了部分を抜粋します。……
「応援したいならしろ、去(い)ぬんなら去(い)ね。初めから他人なんぞ、宛になんかしちょらん。」
こんな室原の言葉に、反発した村人も多い。この偏屈さの理由は、闘いの目的が室原だけが違っていたからだった。学生時代、大正デモクラシー運動を体験していた室原は、国民の立場から国にもの申すつもりだった。
室原知幸映像「公共事業を取り上げてですね、今まで押しつぶされてばっかりでしたね。私がやっていることによってですね、いろいろのことがバールをはいでいっている。一言で言えば、民主主義の闘いである。そういうものを確保して、維持して、発展していきたい。こういう願いでやっているわけですね。」
田舎の年寄りが何を言うと見くびっていた国は、室原の言い分の前に、ダムの合法性さえも失いかねない危機に陥るのである。
治水目的だった松原、下筌ダムは水力発電も行う多目的ダムに計画が変わっていた。
「いつから電力会社のためのダムになったんだ。洪水を防ぐためじゃなかったのか、だいたいダム法には、多目的ダムなら基本計画がいると書いてある。基本計画がない多目的ダムは違法じゃなかか。」
室原は基本計画がないことを追求し、建設省の計画認定そのものが無効だと訴えたのである。
しかし、「主文、原告室原知幸らの請求をいずれも棄却する。」
判決を下した裁判長、石田哲一は現在90歳。
今は、神奈川県横須賀市で穏やかな日々をおくっている。石田がこの判決を出した経緯を始めてカメラの前で語った。
記者「基本計画がなくて、ダムを作ったのは違法だったわけですね。」
石田哲一「そうです。それは違法でしたからね。それは本来国も認めていたんだから。」
記者「そうすると、山の中の一人のお年寄りが訴えたことは国より正しかったんですね。」
石田「うん、そうだと思う。」
裁判長が判決の内幕を話すのは極めて異例である。
石田「私は勝たせてもいいと思っていた。しかしね、陪席(裁判官)が、それは勝たせちゃいけないと。国がこれからダムが作れなくなると困るだろうからと。それはそうだなと思って、それで仕方ないなと思って、負かせたんだから」
しかし、控訴審で考えられないミスが起きた。
そもそもは、室原側の坂本泰良(たいら)弁護士が控訴審で姿を見せず、裁判が一端休止になったのがきっかけだった。その上次回法廷期日を坂本弁護士が届けなかったため、裁判は、休止満了となり、室原の負けが確定したのである。
坂本弁護士は社会党の国会議員。自民党との裏取引があったと見る人は多い。
←坂本弁護士
記者「東京高等裁判所での裁判が休止満了となりましたね。その原因は何だと思ってらっしゃいますか」
←長男・室原基樹氏
知幸の長男、室原基樹(60)「私もはっきり言って、弁護士の手落ちというか、弁護士が故意にやったんじゃなかろうか。国の圧力に屈したというか、それ以外に考えられないような…」
しかし、坂本弁護士はほんとうに裏切り者だったのであろうか。関西大学の図書館には、室原の蔵書やのぼり、手紙が大量に保管されている。ここに、坂本弁護士からの手紙が残っていた。
手紙文「休止満了日が来る12月7日ですから、如何いたします。……貴殿のご意見により、いずれかに決定したいと存じます。……坂本泰良」
手続きをしないと敗訴してしまう。坂本弁護士は事前に室原に伝えていた。ではなぜ室原は不戦敗にしてしまったのか。
明日で届け出の締め切りだという前の晩、坂本からの電話で、室原が激しく怒る姿を周囲は記憶している。
お山の大将だった室原は細かな指示はいちいち出さない性格だった。弁護士の手紙に返事も出さなかった可能性が極めて高い。
手紙で連絡をしたのに、勝手にしろと怒鳴られた坂本弁護士は、次の手紙でこう皮肉っていた。
手紙文「お電話にて返事ご承諾いただいたとおり、休止満了と致しました。」
石田元裁判長「たいへんわがまま者でしたね。室原は。そういうところがありましたね。田舎もんでね、大将であるという気持ちを捨てられない、というところがありましたですよ。欠点はね。」
あと一歩というところまで国を追い詰めた室原だが、こうして最大の裁判は、惨めな不戦敗に終わったのである。
それはあまりに頑固な室原の性格の故だった。
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