2002.10.6
「金沢市は、大が小を面倒みようという おごり」
市町村合併のはなし
金沢・野々市・内灘、それぞれの主張


◆自治体を減らせ!――
    吹き荒れる平成の市町村合併

 最近の市町村合併の話。地元新聞ばかり見ていると、合併に乗らないのが何か地域エゴのように映ってしまう。
 そもそもこの合併は、全国の市町村数を、05年までに三分の一=1000にするという政府の方針から来ている。交付金というエサがたっぷり用意され、全国で「平成の市町村合併」の嵐が吹き荒れている。石川県でも奥能登から白山麓までが揺れている。金沢市長も「大きいことはいいことだ」と野々市町に猛烈アタック。丁々発止、ノー天気な持論を語っている。どこかおかしいのではないか? 「野々市町と合併すれば金沢市は五十万人を超え、制令指定市になれる」と言っているのだが、国の基準は七十万人。これでも足らない。
 野々市町は、独立した市への展望をもっていて、金沢市長からの申し入れを断り続けている。思い通りに進まないので、何を錯乱したか、金沢市長は、鶴来や白山麓五村へも合併を申し入れた。歴史も文化も金沢と違うこの合併話には、さすがに白けている。
「いやだいやだ」という野々市町を追いかける姿は、まるでストーカー。無様である。
 8月現在、全国で2026の市町村が合併のための協議会や研究会を作り、全体の市町村数の六二%を超える。福島県矢祭町(やまつりまち)のように、町議会全会一致で反対決議をしているところもあるのだが……。

◆市民としてどう考えたらいいのか?
 こうした、主に政府や行政から発せられる合併話をどう考えたらいいのか? 市民として問題意識を持つ必要はないのか?
 市町村の歴史は、それぞれ重いものをしょっているから、合理的な説明が必要だろうし、また、戦後吹き荒れた、「昭和の市町村合併」の検証も必要であろう。
 推進論の急先鋒、金沢市長の言い分をまず聞いてみよう。今年八月、金沢市町会連合会総会で話した内容をかいつまんで見る。

◆山出 保 金沢市長の主張
  「大きいことはいいことだ」

 市長は、まず背景を述べる。
「――時代・社会が大きく変わったが、市町村数は変わらない。都市人口も増え、このままでいけない。地方分権を受ける市町村は強い基盤を持ち、行政能力を備えなければならない。行政経費の節減にもなる」
 だから合併が必要だと強調する。国、県の取り組みを紹介し、
「――条件緩和、住民の意見反映の地域審議会設置、財政需要支援特例債の創設。特例措置の期限は平成一七年三月末だ」。
 要は、お金がもらえるという説明で、期間を過ぎると特典は受けられないと強調する。市民のためになるメリットとして、
「――境界の道路幅や曲がった道路が整備される」「通学区域を変えることができる」「警察の管轄、消防・救急体制、都市ガス導入、浸水対策、保育所・老人ホーム・スポーツ施設・ゴミの埋立場」
 などを列挙し、現実的に良いことがいっぱいあると宣伝する。そして、
「――将来の展望を持つことが重要。お互いに謙虚で、寛容で、互いに譲り合おう」
 とまとめている。

 ボーッと聞いていると、それもそうかなと思ってしまうのだが、低レベルである。合併と直接関係ないことを話している。協議すれば簡単に解決することだろうに。過去にこれをやってこなかったことの方が問題であろう。要するに「大きいことはいいことだ」としか言っていないのだ。

◆安田彦三 野々市町町長の主張
 「特例債を活用すれば、後世にツケを残す」

 野々市町の言い分はどうか? 広報誌に載っている。
「――合併は他から強要されるものではない。選択は、住民自治、住民参加という観点で、実情を踏まえ、住民が自己決定するものだ」
 なかなか良いことを言っている。過去の経緯では、
「――野々市町では、昭和30年に旧野々市町と旧富奥村が合併して新野々市町が誕生したが、翌年、旧郷村が分村、一部が新野々市町に編入。昭和32年には一度金沢市に編入した旧押野村の一部が激しい紛争の結果、分市して新野々市町に再編入した」
 なんかややこしいが、
「――当時の分村のしこりが今でも残っている。今後、合併問題を議論していく中でも、町が二つに割れるようなことは、決してしてはならない」
 と、過去の失敗はしないことを強調している。金沢市長の申し入れについても、
「――町民の意見を踏まえて応ずべきと考え、町政懇談会や町内会で、町民の意見を拝聴してきた」
 こうした町民の意見を踏まえて、
「――現時点で、金沢市との合併は、想定される複数の選択肢の一つに過ぎない」
 と慎重論を説明。金沢市の鶴来町と白山麓五村への申し入れについては、
「――松任市及び石川郡内の町村で行っている広域行政が破綻するのではないかとの危惧がある」
 と、金沢市を批判している。
 野々市町の将来像について、各種基盤整備をすすめ、単独行政としての『ののいち市』を展望している。また過去の事例を参考にして、合併のマイナス面を次のように触れる。
「――住民サービスの低下・後退、住民負担増加、過大投資誘発で財政難、行政改革の名による住民の暮らし・福祉・教育の切り捨て、過疎化促進、地域の歴史・文化・コミュニティの崩壊、合併時の約束の不履行……などなど住民にとって合併とはなんだったのか?」
 これは説得力がある。合併の優遇措置の問題点も指摘している。ちょっと難しいが、ここはしっかり理解する必要があるので、詳しく触れる。
「――期間限定。人口規模が大きくなれば効率的な行政運営が可能。普通交付税の人口一人当たりの基準額は小さくなる。しかし、合併直後には歳出面での見直しが行われないことなどに配慮し、合併後十年間を特例(その後五年間は段階的に減らす)で、合併以前の市町村単位で普通交付税額を算定し、その額が保障される。従って、特例期間が終了すれば本来の算定となり減額される。合併によって受取る交付税は確実に減る」
 なるほど、こんな仕組みなのだ。
「――合併特例債とは。仮に発行すると、元利償還も含めた自前の財源が必要。特例債を活用した施設の維持管理費用などは、後世にツケを残すことになる。これまでに合併事例では、財政の見通しを見誤り、建設計画が予定どおり実施されなかった」
 合併で使えるお金が将来の町を壊すことを指摘している。フムフムと納得する。
 将来の日本の地方自治について、
「――道州と市による二重構造に移行していく可能性が大きいのではないか。北陸三県が合併するような時期が来れば、近隣の市町村あげて、金沢市を中心とした政令指定都市を目指しても決して遅くない」
 と見通しを述べている。この町長、金沢市長と器が違うようだ。

◆岩本秀雄 内灘町町長の主張
  「金沢市は、大のおごり」

 さて、野々市町と同様、単独行政をめざす内灘町はどうか?
 岩本秀雄町長は、辛辣に「金沢の議論は、大が面倒みるという おごり」と言っている。昨年三月の議会での発言だが、この部分だけ抜粋しよう。
「――平成9年に産能大学というものが金沢市とうちと魅力度というものを調査しまして、北国新聞に大きく出ました。金沢が100%の生活全般230項目にわたってやられた。そのときに、内灘が105ポイントで5ポイントいいんですよと言っていました。それから、金沢から内灘合併という話が消えました。そりゃそうでしょう。そういういいものを自分のおごりで、大きいから面倒見てやるわという話じゃ私はおかしいと思う」

◆市議会で、反対なし!とは情けない
 「小さいことはいいことだ!」と声を挙げたい

 こうした金沢市と隣接する両町の町長の意見をじっくり見ていくと、合併話の問題点が浮かんでくる。
 両町は、金沢市との市民負担比較もしているが、ほとんどの項目で金沢市の方が負担が多いのだ。これでは「合併しよう」といってもソデを振られるだけだ。金沢市の姿勢は、内灘町の町長のいうとおり、「大が小を面倒みようという おごり」である。もっと汚い言葉を使えば、「札束で顔をはたく様なもの」なのだ。野々市町長の言うように、この札束が将来の負担としてのしかかってくることを考えると、金沢市長の言い分には全く道理がない。ただ「大きなことはいいことだ」といっているに過ぎない。もっとやるべき事が他にたくさんあるだろうに。
 金沢市議会で合併推進の決議が行われた。しかし「反対なし」というのだから、情けない。
「大きいことはいいことだ」という呑気市長に対して、逆に「小さいことはいいことだ」と声を挙げたい。(2002.10.5)


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