2002.8.25

鶴彬から与えられた指針と課題
(1988.4)

 「諷詩」という言葉は、巷の川柳界で市民権を得ていないようであるが、これは諷刺短詩を縮めたものとすれば、一般名詞としてもっと使われてよい言葉である。しかし諷刺短詩そのものが現在の一般川柳界の中で「特殊」なもの、言い換えれば「異端」視されているように思われる。
 川柳の発生や文芸の歴史を振り返るまでもなく、川柳から諷詩精神を抜けばそれはもはや川柳とは言えない。この本質を川柳界の大勢がが忘れているか、または故意に避けている事に「諷詩」が未だ用語として定着しない大きな原因があると私は思っている。
 しかし、諷詩川柳が川柳界の主流にならないのは、ある意味では当然な事である。そもそも川柳を含め、文芸や芸術が人間意識を反映する以上、その意識を超えて作品が生まれ出るのは難しい(しかし作家の目が人間や社会をリアルに見ることが出来れば別である。トルストイのように)。
 現在の川柳界で、諷詩を自己の本領と意識した川柳作家が圧倒的に少ない中では、発表される作品も大勢を変えるにはことにはならない。時事をテーマにし、諷詩を意識した作家の多くは、主に一般商業新聞や各種団体の機関紙に投稿しているのではないだろうか。しかし一般商業新聞の最近とみに目立つ体制擁護の報道姿勢からみると、狂句的に時事を唄う句は別にして、本質をついた川柳はなかなか採られない。その点、前号に掲載された谷内肇氏の「打倒楠憲川柳」は諷詩川柳人にとっても、川柳を狂句に落としたくないと望む一般川柳人にとっても共通のスローガンであろう。

 各地でそれぞれの結社で活躍していると思われる諷詩作家も、その活動範囲が個々の川柳会の活動の枠内に限られていては、その作家活動も、大勢に引き込まれざるを得ず、不本意な作句活動を余儀なくされているのではないかと思われる。諷詩の佳句が生まれても句会で選ばれる事は少なく、したがって会報に掲載されることも少ない。本人が自腹を切って自費出版でもしない限り世に出ることはない。諷詩川柳の発展にとって極めて残念なことである。

 鶴彬があの当時、森田一二という先達、あるいは井上剣花坊という偉大な擁護者がいたとはいえ、ほとんど一人で「プロレタリア川柳」を確立したことを、現代の情況と比較して考えると、現在、諷詩川柳の発展を意識的に追求する事は、川柳文学を発展させることでもあるし、社会進歩に貢献する川柳人の使命でもあろう。
 鶴彬は、「純粋に正しい川柳の詩は、現代における社会的現実の矛盾とたちむかひ、これと格闘することを恐れぬ人民の側に立つ進歩的な思想をもったもののみによってうけつがれ発展させられる」と後世の我々に指針を示し(「川柳の詩の贋造について」全集三八七頁)、貧困な作品の氾濫にたいして、「これは要するに作家の才能不足、世界観の低さ、批評の貧困とその指導性の喪失、あるいは作家の苦悶の欠如等いろいろな原因がかぞえられるとは言へ、一つには、作家たちが、川柳の本質を正確につかみとってゐないところから起こる不幸な現象である」と我々に課題を提供している(「古川柳から何を学ぶべきか」全集二八〇頁)。

 岡田一と氏の編集による「鶴彬句集」の発刊により、鶴彬の川柳が我々の身近かなものとなった。今までとかく鶴彬は彼の作品や評論の鑑賞ぬきに反戦活動と検挙・獄死という『経歴』によって、殉教者としてまつり挙げられては来なかったか。といってもまだまだ歴史家のあいだにも知らない人は多い。現に社会運動に詳しいR出版社の年表にも鶴彬の記述はない。一九八一年に発行された岡田一と氏の『鶴彬の軌跡』は五百部を三年かけて普及されただけであり、一叩人編纂の『鶴彬全集』、同氏の普及版『評伝・反戦川柳人鶴彬』もそれぞれ高額な為と著者独特の記述のため、鶴彬の大衆的啓蒙に成功したとは思えない。しかし鶴彬が川柳界の中だけでなく、世の人々の間に少しづつでも広まってきたのは、岡田一と氏を始め、心ある川柳人の努力の成果である。
 鶴彬の大衆的啓蒙そのものが、戦争に反対し、反核、平和、社会進歩を願う多くの人々に勇気をあたえるであろうが、川柳人にとって、鶴彬から学ぶ貴重な財産は、鶴彬が八十編を超える評論や句評のなかでおこなった、川柳に対する多くの指摘や示唆であると私は思っている。
 鶴彬の指摘する、「作家の才能不足、世界観の低さ、批評の貧困、その指導性の喪失、川柳の本質についての不理解さ」は、諷詩をめざす私たちに対する厳しい批判でもある。また、今まで鶴彬の句評がほとんど検討されてこなかったようであるが、手厳しくまた的確な句評は、短文であるだけに鶴の川柳観を凝縮しているし、具体的な作句のヒントをビンビン伝えてくれる。多くの川柳誌に登場する、言葉の置き換えでお茶をにごす句評がいかに意味のないものかがよく分かる。願わくば先輩諸氏のこの面からの鶴彬研究、諷詩探究を是非望みたい。

 一九八八年九月、鶴彬没後五十周年を迎える。全国規模の鶴彬記念、研究活動が強く求められていると思う。旧態依然とした句会に「鶴彬記念」をただ冠して済ますことはもはや出来まい。 
(「川柳人」誌掲載 1988.4)

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