2002.8.25
現代川柳の精神を考える
(1988.12)

 一九九〇年を迎える。巷のあちこちで世紀末論議が起っているであろう。この言葉がぴったりの世相が日本の「豊かさ」の中に生まれている。
 改めて指摘するまでもないが、一九八六年以来日本は一人あたりのGNPはアメリカを抜いているし、日本の地価の総額は、アメリカ全土の四倍以上である。日本をたたき売れば、アメリカが四個手に入る勘定である。この様にとてつもない規模の経済的環境に我々は囲まれている。
 こうした事は日ごろ意識することはない。しかし「遅れた」アジアやアフリカの人々の姿に触れるとき、思わず周りを見渡してしまう。反面、外国滞在者からそれらの国の生活を聞くと、以外にも私たちの知らない豊かさを知る。「豊かさ」を測る尺度がどこかで狂ってきたようである。
 こういった日本の「豊かさ」も多くの日本人にとって無縁である。風化した中流意識に満足している多数も、事が起これば進んだ社会と隔絶した『日本』を知ることになる。地獄と隣あわせなのだと誰かが書いていた。何と薄っぺらな社会であることか。美しい装飾品で飾られた砂の器のようである。

 文学は社会を反映する。その反映のしかたは様々である。川柳も文学の一端を担い、様々に世相を映す。砂の器を飾る装飾品も描くし、人間や風俗を川柳の様式で描く。しかし砂の器そのものを追究する作品は極めて少ない。見聞する多くの柳誌に登場する圧倒的な作品がそれを証明している。うんざりするほど退屈で、狭小な精神に満ちた作品群。作者は真剣に苦労して作っているのは間違いないのだが、「秀句を戴きました」と紹介する作品を見れば、砂の器にひっかかっている装飾品である。「それがどうしたの?」と思わず声を出したくなる。
 現代の文学について、多くの評論家は「社会性欠乏、無思想、想像力欠乏、ドラマがない、虚構がない、おもしろくない、視野狭索症、生活との遊離、退嬰的、小粒……」と指摘する。それは現在の川柳界にそのまま当てはまり悲しくなってしまう。
 どの分野の芸術にしろ作品と鑑賞、その間に立つ批評が互いに牽制、批判しあって作品を高度なものに作り上げていくが、川柳界での批評活動の大幅な遅れは致命的に不幸なことである。これは単に書く人がいないからだというよりも、これらの作品群を目の前にして、まじめに現代川柳を批評し評論する気が起きないといった方が妥当であろう。

 近代日本文学には志賀直哉に代表される「私小説」がある。その特徴に社会性の希薄さがあげられる。
「私小説」は日本に特有のものであるが、「私小説」が生まれた背景には当時の「暗黒」があった。多くの作家は従軍記者として、また銃後の士気高揚雑誌の作家として「徴用」された。「私小説」しか書けなかったのである。(付記すれば川柳の「大家」も堂々と戦争賛美の句を作り続けた。今までその反省の記録を読んだことがない。)
 敗戦は歴史の巨大な幕を切り落とし、「私小説」の存立しつづける社会的基盤は失ったかのように見えた。しかし作家の貧弱な精神はその転換を受け入れるには小さすぎた。あいかわらず小じんまりと現在にいたっている。「私小説」的感覚が体質になってしまったかのようである。
 俵万智が出て、短歌界に新風を吹き込んだといわれるが、石川啄木に比べると格段に深みが違う。比べるのも啄木に失礼な気がするほどだ。「売れるものは読者から支持されているから良いもの」と言う川柳人はいないと思うが、他山の石として自分を見つめる余裕を持ちたいと思う。

 歴史をふりかえるとき、その変革期にそれを許容し鼓舞する文学や精神が、高い質をもって大衆あるいは社会の中枢的知識人から支持されていたことを忘れるわけにはいかない。フランス革命での百科全書派。ロシア革命でのドストエフスキー、トルストイ。中国革命の孫文や魯迅。日本においても幕末の松陰、大正デモクラシーの植木枝盛、吉野作造などをあげるだけで十分であろう。現代の日本の文学界、思想界の混乱ぶり、マスコミの狂乱ぶりを見ると日本の変革期は当分あり得ないのではないかと失望してしまうほどだ。

 読者にしろ作家にしろ、文学にたいする関心は自己の生き方の模索と切り離せない。だとすると、社会と切り結び、確固とした思想のもとに、ダイナミックで、世界文学史に刻まれるような日本文学は、これらの課題を担う人々、現代という時代と真剣にとりくむ人々にこそ支持され、成長していくものであろう。
 社会が混沌としているように見えても、優れた文学は万象の事実から現実をより分ける。そして社会発展の一歩先を見通す。川柳も同様に、社会を切り刻み、人間の心をえぐり出し、作者の思想と川柳観で再構成される。まさに作者の社会的活動の実跡として作られる。そしてそれらに共通するテーマは、あらゆる封建的残滓に対する闘いと民主主義の発展であろう。 (了)
「川柳人」掲載 1988.12

 雑文にもどるトップページにもどる