2002.8.25
現 代 の 落 首
――大嘗祭考――
(1990.5)

 落首に共通するのは、その時代のタブーに触れたが故に文字にならず、埋もれてしまう作品である。思想表現の自由を保証されている現代でもタブーは生きている。菊タブーである。

 大嘗夜据え膳永すぎて早漏

 この一句を解説できる人は、大嘗祭についての相当な「もの知り」であろう。
 今年(一九九〇年)、大嘗祭がとりおこなわれる。昨年来、憲法の政教分離原則をめぐって国会でも質疑がなされたが、政府・自民党は国費の大浪費を決定した。しかし、国会の論議は大嘗祭に対する国費の使い方が中心で、大嘗祭とは何なのかまったく分からなかった。その理由の第一に、菊タブーがあるのは明らかであろう。追及する側(野党)も答弁側(政府)も「大嘗祭は宗教的色彩が強い」という認識の一致はあるものの、質問も答弁も抽象的であった。
 戦前、天皇問題に触れることは不敬罪と治安維持法とで刑死を覚悟しなければならなかった。天皇制打倒を掲げた地下の共産党ですらも、そのスローガンは口頭で言い伝えたという。

 大嘗祭とは何か。
 一般には「天皇が即位後、初めて行う新嘗祭。その年の新穀を以て自ら天照大神および天神・地祇を祀る大礼で、神事の最大のもの」(広辞苑)といわれている。しかしこれは大嘗祭を外側からみた一面である。
 古来、天皇即位から大嘗祭までの天皇は半天皇とよばれ、半天皇のまま死んだ天皇もいた。半天皇が天皇になる儀式が大嘗祭である。祭には神が必ず存在する。信じがたいが日本における最大の祭であるこの大嘗祭だけは不思議にも祀られる神は文献的に不明である。名だたる神々が神話に登場するが、大嘗祭の主役である神の名はない。
 田中初夫は著書の中で、「残念ながらこの神の御名は文献資料をもってしては明らかにすることが出来ない。しかし、この神が大嘗祭の祭神の主神であることは疑いない」と述べる(「践祚大嘗祭」木耳社)。
 天皇の事を韓国語では日王、英語ではエンペラー(皇帝)という。しかし十六世紀、フランス国王の統治権の正当性について王権神受説があるように皇帝は神とは違う。しかし日本の「天皇」の議論に「王権神受説」なる発想はない。
 三笠宮崇仁は言う。「日本の皇位継承の諸儀式の中で最も重要なのが『おほにへのまつり(大嘗祭)』である。一般には……『神人共食儀礼』といわれている。……しかしそれだけではない。……この祭では……第一の神座は、 ほのににぎのみこと、つまり『穀霊』が天から下るドラマの舞台だったと考えられるが……穀霊だけとは言えない。神話でほのににぎのみことの子孫が日本の天皇となっているから、そこには『祖霊』が加わっていると見なすべきであり……新帝がそれを身につけることこそ、即位の諸儀礼の中でもっとも重要だったにちがいない」(「践祚大嘗祭」田中初夫著への序)。ここでは「大嘗祭とは天皇が穀霊と祖霊を身につける儀式」と指摘している。

 さて、ここに二つの「霊」が登場した。神と呼びかえてもいい。
「祭祀終了後の「直食」は日本の祭式の定式であるが、祭祀進行中における祭祀者の神饌の共食は重大である。つまり、祭祀者が神饌を摂るということは、とりもなおさず祭祀者が同時に被祭祀者、即ち神であることを示しているものにほかならないからである」と古代の民俗、宗教を研究する吉野裕子は指摘する(「大嘗祭・天皇即位式の構造」弘文堂)。
 戦前、軍国主義教育の中では天皇は現人神と教えたように、天皇は神と同一なのである。いわゆる現人神が天皇の本質である。しかし「現人神」は神の名前ではない。逆に神の名が「天皇」である。前天皇の死去により皇太子が即位し「(半)天皇」になり、その後「天皇という神」になる儀式が大嘗祭である。この点が国会でも議論にならなければならなかったのである。単に宗教色が強いということだけではすまされない。

 では天皇という神は何者か。また大嘗祭のどの瞬間に神となるのか。大嘗祭の進行を過去の文献にたよって子細に追究することになるのだが、古典の中で、この大祭の神についての記述は『令義解』職員令中の神祇官の条と神祇令中の即位の条の二カ条のみであるという。また『宮主秘事口伝』に「大嘗会者、神膳之供進第一之大事也。秘事也」とあるように一番の重要なところが秘密にされ、口伝により執り行われた。
 前述の田中初夫は、その神は「天神地祇・天照大神・天皇」の三位一体神と推定する。 吉野裕子は田中説を踏まえ、古代の政治や習慣を律していた中国からの陰陽五行思想、伊勢神宮の伝承、古代からの琉球王朝、中国、朝鮮などの即位の研究から、田中説の天神地祇を中国古代の全宇宙の絶対神「太一(たいつ)」とする。「太一」は北極星のことである。
 古代において、北極星と北斗七星は絶対的な指針であった。北斗七星は北極星を乗せる船である。大嘗祭で天皇が着る着物の背には七つの星が描かれている。つまり大嘗祭で天皇は、北極星(太一)・天照大神・天皇霊の三位一体の神を体内に取り入れ、自身が三位一体の神・天皇になるのである。

 大嘗祭の為に特別に総檜づくりの大嘗宮が建造される。その中心は、意外にも御衾と呼ばれる寝室である。布団、御坂枕と称する枕、畳が八枚重ねられたベッドなどがおかれている。何故、大嘗祭の中心が寝室なのか。
 一般的には降りてきた神が疲れを癒すのにこのベッドで仮眠をするのだとの解釈がある。しかしこれは戴けない。余りにも大がかりな儀式に、仮眠などというものに似合わない。神が起きているうちに「仕事」をしてもらわなければならないからである。実は、これ以上は文字に出来ない理由がある。様々な研究、資料があるが明確に文字にしてあるものはない。しかし容易に推定出来るのである。
 古来、「血分けの儀式」というものがあった。現在でも新興宗教のあるものには、宗祖が信者と性的な交渉をして洗礼を授けるものがある。これは血を受け継ぐきわめて厳粛な儀式である。ようするに大嘗祭は三位一体の神の血を受け継ぐ神聖な血分けの儀式である。その為にベッドが必要不可欠の道具となる。また目に見えない神とベッドインするわけにはいかない。当然女性の存在が必要になる。大嘗祭にもサカツコと呼ばれる女性が重要な役を演ずる。その女性は「未ダ嫁ガズシテ ・・・」とあるように巫女である。ただの巫女ではこの重要な大嘗祭には間に合わないし意味がない。一般には知られていないが、そのサカツコに神が宿ると意味される儀式が、伊勢神宮近くで大嘗祭の数日前に行われる。巫女に三位一体神が大嘗祭の前に「降臨」し準備が整う。その後、大嘗祭でのベッドインで天皇が三位一体神となる。
 ここまで読むのにおつきあい願った方には、冒頭の一句の意味は氷解するであろう。現天皇は皇太子時代が長かった――ア
 現代においてはこれら総てが儀式化し、象徴化されているであろうが、「秘事也」ということから、ひょっとしてという疑問と興味が残る。

 以上が「宗教的色彩が濃い」という内容である。これに何十億もの国費が使われ、大嘗宮は儀式が終われば取り壊される。肯定的に考えれば、この大嘗祭は日本古代民俗の生きた例証である。各地の有形無形の民俗風習保存に公費が使われるのに誰も異議をとなえないだろうから、その延長上で考えれば、この大嘗祭も規模を大幅に縮小し(たとえば大嘗宮のミニチュアを造り)、国立民俗博物館の主催で行うならば公費の支出も筋が通る。勿論「秘事」も事細かにあきらかにしてもらわねばならない。
 なお、冒頭の句の作者名は伏せる。銃弾でお見舞いされてはたまらない。(了)「川柳人」掲載 1990.5

参考資料
「別冊歴史読本/図説天皇の即位礼と大嘗祭」(新人物 往来社)
「日本古代の王権と祭祀 井上光貞」(東京大学出版会)
「東アジアにおける儀礼と国家」(共著 学生社)
「大嘗祭/天皇即位式の構造」 吉野裕子(弘文堂)
「古代天皇家の渡来/崇神・応神・継体の謎を解く」(渡辺光敏 新人物往来社)
「日本の歴史」(小学館)

 雑文にもどるトップページにもどる