2002.8.25
組織と情報の共有について
(ニフティの市民フォーラムへの投稿 1996.3.5)
寒さに反して熱っぽいお話に入れてもらおうと思って、この半年ほどの議論ファイルにざっと目を通して感じたことを書いてみます。
私の感じていることは次の3つです。
一 組織と民主主義
二 合意形成の手法
三 情報開示の徹底
で、これらを結ぶ要は、《情報の共有》というキーワードです。
人が一定の目的、共通意識、規律をもって集まりをつくるのが「組織」ですが、その組織運営についてまだまだ日本という土壌でしっくりなじんでいないのではないかと思うのです。
共生という言葉が最近よく使われますが、自然と人間との共生、動物と人間との共生などは概念として理解しやすいが、人間と人間との共生というのが大問題だと思うのです。民主主義の精神にこの人間同士の共生があるのではないか、と。
この「人間同士の共生」を日本で考えるとどうもしっくり来ない。「主張しない、はっきりものを言わない」多くの人に囲まれていて、議論をしても何が争点か、解決すべき事は何か分からないことが実に多い。平和主義者が多いからでしょうか、対立をさけようとして議論が進まないことも多い。けれど決定的だと思うのは、基礎情報が共有出来ないため議論にならない事。噂や伝聞の根拠をめぐって「感情的になるから止めましょう」で終わる。
堺屋太一氏が「組織の盛衰」という本(PHP)の中で、「共通の情報環境」を組織の要素としています(この本、企業論からはみだしたなかなかのモノでした)。 また正村俊之氏(全く私は知らない人です)が「自己組織システム」を論じて(岩波講座・社会科学の方法(10))、情報の作用として、
一 知らないことを知らせる =未知を既知に:解明作用
二 知らせないために知らせる =相対的無知創造:隠蔽作用
三 知らないということを知らせる =知らない事の自覚:開示作用
をあげています。これ大変重要な点です。それぞれが大論文になります。
こうした組織や情報のことを考えると「民主的運営」という言葉にしょっちゅう出あいますが、これも運営に関わる人やトップの器量によってピンからキリまであります。たしかに手続きはふんでいるんだけれど精神が入っていない…等々。運営に関わる人の善意から出発することも多いのだけれど、
・運営をスムースにするため反対情報に触れない。
・色分けをして先に情報や人間を「排除」する。
・時間的制約や事務の煩雑さから手続きを省略する。
・結論が先にあり、その結論に到達するまで会議が進められる。(やたら長い話しあいをするが中身がなく発展がない。こうした議論は疲れはて、虚しい。)
なんてことはよく経験することです。
「トップ(個人・集団)の意志(=方針)を受け、組織は動いているけれど、意志決定、合意形成までのプロセスは多様な価値観、手法の反映が保障されなければならない。合意形成課程も組織活動である」というのが、私が感じている組織のあり方です。では、それをどうして担保するか?
私が感じている結論は、「組織のトップと末端は同じ情報を共有すること!」です。
なんか面倒なことのように感ずるが、なんのことはない常識的なことをすればいい。私はこれを自分で「常識的運営」と名づけている。
■常識的運営のポイント
一 資料収集と準備(持っている情報を全部提供する)
二 秘密(自分(たち)だけ知っている)を持たない(公明正大な人生!)
三 約束を守る(これが意外に難しい!)
四 互いに助けあう(忙しいもの同士だからなおさら)
五 おおいに対立する(いやがるのは我々の悪い癖だ)
六 小さなことでも話し合う(感情問題になる前に解決を)
七 話しあいの中身はきちんと記録する(情報公開の原点か?)
八 運営、活動が組織の内・外に知らされている(情報公開だぁ!)
組織が大きくなればなるほど、合意形成手法の開発が必要だと思うのです。これにパソコンの処理能力を使わない手はない!「会議システム」っていうちゃちなモノではなく「合意形成システム」という総合ソフトが出来ないか、と思っている昨今であります……。
組織って「もの知り」じゃなく「知恵者」が一人いるだけで、ガラリと変わるのだけどねえ……。
(市民フォーラムへ投稿 1996.3.5)
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