2002.8.25
兼六園の海石塔
「戦利品」表示はどうした?
(1992.朝日新聞への投稿)
「国際化の足元」を興味深く読ませていただきました。本名を伏せて生活をしている多くの人が住んでいること、また民族文化の伝承にもつとめておられることに改めて強い印象を受けました。
昨今の世界では民族の抗争が頻発しています。今回の企画は時節にかなった貴重なものであったと思います。
ところで第一回の「玉泉園」を読んで思いだしたことがあります。
兼六園の一隅、夕顔亭近くに海石塔があります。遠来客を伴って過去何度も見た塔ですが、以前この塔には解説板があり「加藤清正が朝鮮出兵で戦利品として持ち帰ったものを秀吉に贈り、それが利家に贈られた」との記述がありました。子供心に戦利品という言葉が気になっていました。昨年文禄の役四〇〇年ということで、確認しようと兼六園を訪ねたのですが、解説板はありませんでした。
一体、この解説の板はどうなったのでしょう。解説の内容が正確なものであれば、海石塔がもともとあった朝鮮半島の場所へ返還することが、石川県で出来得る国際交流の一つではないかと思います。
関係者のご教授をお願いします。
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