2002.8.25
情報の共有/一次資料の意味
(1996.3.10)
(ニフティのフォーラムでの発言より)
熱〜い議論に水を差したようで、ごめんなさいネ。
私がこうした【情報の共有】という問題意識をもったきっかけは、行政への情報公開条例制定運動への関わりからでした。
多くの行政がいまでは情報公開を制度化していますが、そのほとんどは決定済みのものを公開文書としています。しかし、有権者としては政策決定されてしまった後では、取り返しがつかないことが多いので、「審議過程の資料も公開せよ」とせまる。「決定課程も全部公開せよ」「審議会の公開を!」などと要求するわけです。
これは意志決定に「有権者も参加させよ!」という要求であって、現在の間接民主制度の不備を補完する上で大きな意味を持っていると思っています。
八九年の「代替わり」の話ですが、そのころ岩波の「世界」に東大の先生が、「内なる天皇制」という一文を書いていました。詳しくは忘れましたが「天皇制を論じるまえに自制してしまう論者」の姿勢を批判していたと思います。
私はこの「内なる天皇制」を「内なる情報公開」として自らを振り返ってみたのです。
はたして自分が責任をもっている組織で「構成員」に対して、私が抱えている情報を全部開示しているか? そんなことはありませんでしたね。目的達成にマイナスになる情報は意図的に隠したし、煽ってばかりいたように思います。――終わりよければすべて良し!――と、なんの疑問も感じませんでした。
過去より大から小、いろいろな分野の運動や組織に関わって、運営などで苦労をし、円形脱毛なる経験もしました……。こうした色々なことがあって、人には色々な能力、発想があって、それをまず尊重する、目的が同じなら、その旗の下には皆んな平等という原理(?)にたどりついた次第です。
具体的な手法、システムはその組織の個性があるので普遍化できませんし、組織の規模によって様々でしょう。しかし、「情報の共有」という「原則」はどうしても譲れないのが今の私です。
話は突然とびますが……。
@マリアは結婚していた(これは事実)
Aマリアは妊娠した(これも事実)
B処女受胎であった(? ここが科学と非科学の分岐点なんです)
これを解明するには、マリアとヨセフの夫婦生活を調査しなければならない。その調査票が第一次資料という情報のもつ意味だと思うのです。
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