2002.10.17
諷刺/パートナーシップ考
「上以之下風化 下以之上諷刺」

1.諷刺考
 川柳を考えるのに不可欠の「風刺」という熟語。「風が刺す」というのだが、「風」とは何か? 何を刺すのか?
 元もと、この「風」は「諷」というように、「言へん」がつく。2000年以上前、中国で使われ、熟語として定着した。この語源を遡ると現代社会を考えるキーワードになるのだ。

・最古の詩歌集「詩経」
 世界最古の詩歌集として有名な『詩経』という中国の文献がある。紀元前771年から、春秋(東周)時代に入り、孔子や老子などの思想家を輩出した。『詩経』は、この時代以前からの朝廷や民間伝承の謡曲を集めたもので、主に孔子が編纂に取り組んだと言われ、この「詩経研究」が学問となる。資料はその後散逸し、漢時代に「趙人毛公」という人が伝えたものが、今に残されている『詩経』である。『毛詩』と呼ばれている。
 この『毛詩』に序文がある。『毛序』とも言われているものだ。

・詩は人の志の発露
 『毛序』はまず、詩の定義を説くが、なかなか意味深な文章である。
 「
詩は人の志(こころざし)の発露である。心に在るのが志で、それが言葉に現されて詩となる。心中に感情が動いて言葉に現れ、言葉に現しただけでは足らずしてこれを磋嘆(さたん)し、それでも足らずして声を引いて詠い、歌っても足らず、ついに手の舞い足の踏むを知らざるにいたる。…(略)… 治世の音は安楽だが、それはその政(まつりごと)が和順であるからであり、乱世の音に怨怒の色があるのは、その政が道に背いているからであり、亡国の音の哀しく思い多いのは、その民が苦しんでいるからである。政治の得失を正し、天地鬼神を感動させること詩にまさるものはない。古の王者は、この詩というものによって、夫婦の道を正し、孝敬の徳を成し、人の道徳観念を厚くし、強化を見事にとげ、風俗を善に向かわしめた。

 次に、詩の形と内容を説く。
「かくて詩に六義ということがある。一に曰く風、二に曰く賦、三に曰く比、四に曰く興、五に曰く雅、六に曰く頌。」

 次に六義の各論を説く。「諷刺」という言葉が出てくる部分である。
「風とは為政者はこれをもって下、人民を風化し、人民はこれをもって上、為政者を諷刺し、比・興をかりて辞に文(あや)を持たせ、これによって婉曲に相手を諫めれば、下の言う者は罪を被ることなく、上の聞く者はそれでみずから戒めるに足ることを意味する。」(以上は中国古典文学大系15 平凡社 目加田誠 訳による)

 以下に「六義」の解説が続き、それぞれ含蓄のある文章で面白いが省略。「諷刺」の部分は、原文では次のとおり。

 
上以之下風化
 下以之上諷刺
  
 お上はこれをもって人民を風化し、
  
 人民はこれをもってお上を諷刺する

 風化とは「教化」と同意。一つの形で統一するという意味だ。「之」とは「詩=言葉」のことである。こうした上からの教化と、下からの諷刺で、社会のバランスが保たれているのだ、と言っている。風刺という言葉は、権力者や強者に対して使う言葉で、弱い者に対する言葉ではないことが分かる。弱者に向かうのは、単なるイジメである。

2.パートナーシップ考
 いま氾濫している言葉に、「パートナーシップ」というのがある。行政と市民との協力関係をさして使われることも多い。
 この言葉を使うときに対になって市民活動への「反省」が語られる。「これまでの市民活動は行政への批判だけだった。これからは行政と共に取り組む必要がある」と。「仲良く一緒に」ということなのだが、市民と行政の関係は、単に「仲良く」では解決しない。問題が曖昧になる。権力と金を持つものと持たないものの関係は対等ではあり得ない。市民の側の強力な意志がなければ、行政からの一方的な「風化」で終わる。もう一方の「諷刺」の視点が必要なのだ。行政は、強力な教化力で市民を取り込もうとする。それに対する、批判力を持たなければいけない。これなくして「パートナーシップ=協力」はあり得ない。
 アメリカ直輸入の「非暴力運動」というのもあるが、元はインド独立運動のガンジーが提唱した「不服従・非暴力」なのだが、紹介される「非暴力運動」は「不服従」をはずして、非暴力的手段だけを問題にする。「お上も人間、話せばわかってくれる。一緒にやれる」という。わかってくれるであろう善意をあてにして運動を始めようとするのだ。「地獄への道は善意で舗装されている」という格言もある。善意で始めた活動が、行政が絡んで、とんでもない結果をもたらした例は枚挙にいとまがない。市民活動にこうした視点が必要であろう。市民活動のバージョンアップとは、こうした視点を実際の活動に生かすことなのだ。(2002.10.17)


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