2002.8.25
「お国のために死んだ」
誤解か隠蔽か……
(1990.8)
「国の為に命を捨てる」という言葉は戦時中の話によく出てくる。
「お国の為にどれだけ多くの兵士が死んでいったことであろうか」などと言い、厭戦あるいは反戦の立場からの発言の中にもよく使われている。例えば昔の日教組の会合でよく歌われた歌曲の歌詞に「お国のために死ねと教えた私……」とある。この表現に何の疑問も感じなかった。しかし、この「お国の為」という表現には非常に大きな問題が含まれている事に最近気がついた。
五年前の敗戦記念日に作家・千田夏光が新聞に掲載した一文に教えられた。氏は学徒動員で入営した体験を語っている。以下引用。
――入営してすぐの区隊長面接で「皇軍の一員となった決意」と尋ねられたのに「国のため死を賭し戦う覚悟であります」と答えたところ五日間の「軍人勅諭」連続謹写を命じられた。
Oもまた私と同様に連続謹写組であった。二人は同じ電灯の下で夜になると長文のあの「勅諭」謹写という苦行をはじめたのだが、三日目に「そうか」二人は期せずして声をあげた。軍人において憲法以上の聖典であるその「勅諭」にこうあったのである。
「朕か国家を保護し上天の恵に応し祖宗の恩に報いまゐらする事を得るも得さるも……」
つまり国家を保護する、すなわち戦争は天皇の「おしごと」であり、兵隊どもが「国を守る」など口にすべきではないのであった。
「大東亜戦争」も開戦の勅語によれば「帝国自存自衛のため」天皇が「国家を保護防衛するため」はじめられた戦争だから、われわれは陛下の赤子股肱(ここう)となり黙って天皇の、その「おしごと」完遂のため、闘い、死ねばよいのであった。
五日目「わかりました」二人そろって区隊長のもとに出頭したら「わかればいい」やっと笑顔をみせてくれた。――
少々長い引用になったが、この中に天皇と日本国軍との関係についての重要な指摘がある。これらは、戦後生まれの者には少々理解するには困難なところがあるが、いわゆる「軍人勅諭」の核心部分で、当時の全国民に徹底して注入されていたはずの事柄である。
それが現在では、「国の為に命を……」というふうにしか誰も言わない。ここはどうしても「天皇の為に命を……」と使わなければ歴史の真実に反する。「国の為」という言葉を使う事で天皇の戦争責任が免罪されているのは明白である。「反戦平和活動」をしている人々が使えば誤解であろうし、天皇の戦争責任を認めない立場の人間が使えば隠蔽の効果がある。
十一月の大嘗祭にむかって天皇賛美の大合唱が行われている。これに対し、全国で民主主義と天皇制を問う動きが始まっている。金沢でもマスコミ関係者の自主的な活動があるし、教育者、宗教関係者が中心となって連続講座の準備がすすめられている。(一九九〇・八「川柳人」掲載)
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