獄中日記に亡父の無念(天狗橋事件その6)



クリックで拡大


◆無実を信じる遺族たち
◆「他に累及ぼすは男の恥辱」

【記事の要旨】
 最高裁で実刑が確定したのは事件から10年余。昭和36年1月。福井刑務所で服役。模範囚としてその年の11月に出所している。
 竹島課長の遺族を東京に訪ねた。「もう、そっとしておいてほしい」とためらった後、段ボール箱に詰まったノートや書類をとりだした。亡父の日記や裁判記録だった。
 長女が語る。
 「事件の真相を一番知りたかったのは父だったのではないでしょうか。裁判が終わった後も県の人たちに会って事情を確かめようとしていたようです」
 獄中日記より。
 「自分は課長として部下に重くする考へもなく、逮捕なき者まで追逮捕を欲せず。苦しい立場に立ったのである。……上司はもちろん、部下に累を及ぼすことは男として将来とも恥辱となると思へ何ら言及しなかった。……自分としては往来の妨害を企てたとの主張はいかにしても納得できない。……」
 えん罪だったのかどうか、この天狗橋事件はなぞが多すぎ、その分家族が苦しんだ。
 あれから35年、関係者の多くは鬼籍に入った。事件を機に鉄骨化した天狗橋もいずれ付け替えられる。天狗橋という名称が残るかどうか。関係した人間すべてが犠牲者だった天狗橋事件。水害と苦闘する手取川昭和史の悲しい一コマと言えた。

s61.2.8(縮刷版2月 213頁)

もどる