遺族に心の痛み今も(天狗橋事件その3)



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◆杉の葉取りに天狗山へ
◆義弟の遺影にめい福祈る

【記事の要旨】
 死傷者10人はいずれも手取川流域住民。死亡したのは鶴来町字大国町の辻井さんと能美郡山上村の中島さんの二人。
 遺族を訪ねた。
 「通行人」だった辻井さん。対岸の天狗山に杉の葉を取りに「通行禁止」の立て札があったが、まさか落下するとは思わず渡り始めて事故にあった。
 中島さんは獣医だったが、ふる里に帰って、土建会社に入る。当日別の用事で天狗橋を通りかかり、同僚が作業をしているのを見ていたが事故にあう。
 負傷した作業員も10年、証人席に立たされ続けた。大きな社会的事件だったため、精神的負担は大きかった。作業員か通行人かの認定で争われたこともあった。
 「橋を傾ける目的なんて全く知らされていなかった」。
 「もう思い出したくない」。

 事件に関わった宮竹組は事件直後に解散。落ちた橋の土台は、今も雪をかぶって天狗橋左岸詰めに残っている。

s61.2.4(縮刷版2月 89頁)

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