高木仁三郎市民科学基金から助成決定!


2004.7.13 掲載

【参考】2003年度、高木仁三郎市民科学基金助成先一覧
     高木仁三郎市民科学基金表紙

公開プレゼンテーション(2004.2.28=東京)発表内容
住民・市民参加で新しい慣行水利権の秩序をつくるために―



説明資料=A4・2頁(PDFファイル・590kb)

テーマ―――
「江戸期からの慣行的水利用の実態調査・研究をすすめ、新時代の河川管理、環境保全の資料として提供する」

■金沢市の地形
 水利権など水問題を考えるとき、土地勘がないと、なかなか分かりませんので、ちょっと金沢の地形を紹介します。この写真は、戦後アメリカ軍が撮影した航空写真です。1947年です。
 北に日本海、南が山となっていて、2本の川、犀川と浅野川が平行しています。市内の中心の高台に、金沢城と兼六園があります。ここに水を曳くため、犀川の上流に取水口を設けて城まで10kmの辰巳用水が作られました。
 金沢市内に、7本の用水が網の目のように流れていますが、すべて農業用水で、水田が都市化の中で、極端に少なくなっているにも関わらず、用水への流量は江戸時代のまま流れこみ、夏場には犀川には水がなくなっています。
これをどう考えるか。問題の核心にある既得権と呼ばれている慣行水利権をどう見ればいいのか。1本の農業用水を流れる水に含まれる灌漑用以外の要素を突き止めることで、新しい河川管理や地域づくりの手法を見つけだすことが出来るのではないか、そういう問題意識で、今回の申請をさせていただきました。

■兼六園と辰巳用水のこと
 皆さま、ご存じのとおり、兼六園は、観光客が必ず訪れる場所で、観光都市・金沢にとって一番重要な施設です。曲水は、辰巳用水から取り入れられています。

 【写真@=兼六園】

 辰巳用水は江戸時代の初めに作られました。市内や城の防火用つくられました。別名殿様用水と呼ばれ、取水口から4kmがトンネル。10カ月という短期間の工事で完成しました。当時の測量技術や工法などが今でも分からないことがたくさんあり、歴史的文化財として金沢市民に定着しています。

 【写真A=取水口】
 【写真B=トンネル内部】

 江戸時代に新田開発がすすみ、農民にも用水の使用を許され迷路のような水路ができあがりました。

 【辰巳用水の水路全図】
 【拡大図】

 現在この用水は、県の説明では許可水利権となっていて、取水の目的は「灌漑期以外は兼六園へ取水する」と書いてあります。

 【資料=許可書】

 「灌漑期以外」となると、観光客が一番多い花見のとき兼六園に水は使えないことになります。そんなおかしな話はないはずです。

■辰巳用水と慣行農業水利権
 3年前、取水口を調べていた時、用水を見回りしていた土地改良区の幹部の方に会い話を聞きました。幹部の方は「辰巳用水は今でも慣行水利権で、許可水利権ではない。県が間違っている。慣行水利権の届出書も出してある」と言われたのです。この話を元に県とやりとりした中で、届出書が出てきました。県はこの文書を隠していたのです。届出書には、辰巳用水の目的は「かんがい及び兼六園引用」と書かれています。

 【資料=届出書】

 「灌漑期以外」という条件などはなく当たり前の内容です。
 こうしたことがきっかけになって、農業用水や水利権、慣行水利権を考えるきっかけになりました。

■情報公開制度の活用
 様々な問題に直面するたびに情報公開制度を活用し、公文書を入手しました。5年間に請求書だけでも2〜300枚。公開対象となった公文書の数は恐らく数千件となると思います。コピーしたものを平積みにすると1m以上になりました。約半分が水利権関係の公文書です。お金もかかりました。

■土地改良区の資料
 農業用水の資料を検討する中で、新たな問題が発見されました。それは「灌漑面積が極端に減っているのに、用水には江戸時代のまま水が流れている」ということです。
 犀川には、主要な用水が7本あります。江戸時代から犀川七カ用水として7つの組合が、取水量なども取り決めていて、現在までそのまま続いています。

 【写真/鞍月用水の取水口】

 これは鞍月用水という用水の取水口です。大雨注意報が出されたとき閉めますが、いつも開放されていて土地改良区が管理しています。

■灌漑面積
 犀川流域の灌漑面積はどのように変化したのか調べました。
 戦後の1950年代、この写真がとられたころ、約1800ヘクタールありましたが、現在では都市化が進み、1/3の、600ヘクタールに減っています。

 【激減の表紹介】

 先ほどの鞍月用水を例に紹介します。この用水は1000年の歴史のある古い用水で、日本海近くの鞍月地区の灌漑に使われていたのですが、この地区の灌漑面積は、おそらく現在では、10%位に減っているはずです。この地区の真ん中に昨年石川県庁が移転しました。10年ほど前から急激に農地が駐車場や商業ビルに変わっています。県庁の19階には展望ロビーが作られていて、360度展望できます。ここからざっと面積を計算すると1/10になっているのです。それでも水は昔のまま流れています。

 【写真@=新県庁】
 【写真A=展望ロビーより】

■おかしな計算式
 この灌漑面積と流量は、水利権でどう計算するのか調べてみました。
 これが国の計算方法です。

 【計算式/水利権一問一答】

 説明は省きますが、単純に言うと、
 <1haあたり基本用水量×総面積>
 が必要量となっていて、灌漑面積に比例しているのです。
 しかし、この計算式に従って農業用水の必要量を決めたケースは、おそらく全国で例がないのではないかと思います。河川法が作られるずっと昔から稲作は続けられ、秩序が出来ているからです。
 例外的なおかしなケースが犀川にありました。

【秩序混乱の表】

 中村高畠用水では、昔の水量の2倍が許可されています。資料を見ると、慣行水利権を許可に切り換えるとき、試験地で一度だけ試験を行い、その基礎数値に単純に総面積を掛けているのです。水路も他の用水より大きい。この用水、2倍の水を確保したけれど、灌漑面積は、現在では1/5になっています。

■河川管理と農業水利権
 河川管理というものは、こうした問題を調べ、水のムダや不当な使われ方をチェックし、治水や利水などと整合性をもって対処することで、河川法でも様々な手続きを定めています。現在では、環境保護の要素も入れなければいけません。しかし県は、これまで問題を放置して、「水が不足だからダムが必要だ」としてきました。
 全国でも同様だと思います。
 こうしたことは国交省や総務省も知っていて、指針や通知を出していますが、一向に改善されません。

 この主な原因は、慣行水利権は既得権だという誤った理解が、行政にも土地改良区の側にもあることです。
しかし、習慣とか慣行というものは、時代の変化と変わるのが当然です。農業用水の慣行も、変わっているはずなのです。
 辰巳用水の水の内容を調べてみました。灌漑用、兼六園用、これを足しても0.7トンという許可量の半分です。あとの半分は、金沢市内を縦横無尽に流れ、様々な使われ方をしています。一番重要なのは、観光都市・金沢をつくっている。使用の名称をつけるとすれば、景観と観光。観光客の観光です。単に書面に書かれただけではないのです。

■今回の申請のこと
 新しい河川法で河川管理に住民参加の要素が盛り込まれました。当然、河川管理の中心にある農業用水や慣行水利権について、住民参加、市民参加という手法が取り入れられる必要があります。住民、市民には当然農業関係者も含まれます。慣行水利権で既得権だから江戸時代のままでよいとは、誰も言えないはずです。
 1本の農業用水を流れる水に、灌漑だけでなく、多様な権利が含まれている。この内容を明らかにすることが、住民、市民参加型の新しい「慣行」を作り出すことになります。
 これまでの身動きがとれない慣習を打破するためには、今まで以上の事実調査、水争いの裁判記録の収集など法的裏付け、あるいは農業用水についての先行研究の検討が必要だと思っています。
 5月の田植え期には早速現地調査の開始です。

 調査がまとまれば、行政、農業団体、研究団体、大学、主要図書館へ寄贈したいと思いますし、啓蒙活動として、「新しい時代の市民・住民参加型の慣行水利権を考えるシンポジウム」を企画してまいりたいと思っています。
 これまで情報収集や分析、評価の過程で知り合った様々な分野の専門の先生などからお聞きすると、私たちのこうした農業水利権の調査・研究は、1960年代以降、空白に近いそうで、こうした面からも、ぜひきちんとまとめたいと思っています。

 最後になりますが、現在石川県では、犀川水系で河川整備基本方針と整備計画策定のため委員会の議論がすすんでいます。私たちは、これまでの調査の中からいくつかの提言をおこないました。つい1カ月前のことですが、委員会は農業用水量の削減や金沢市が保有する工業用水返上、辰巳ダムの規模縮小と建設位置変更で辰巳用水を守る、などを盛り込んだ結論をまとめました。これらは私たちの調査と提言がなければ実現しなかったことです。特に農業用水の水量見直しに踏み込んだのは画期的なことだと思います。(※注)
 知事はこの委員会の提言を受け、辰巳用水の保護を表明しました。このことを報告して終わります。
 ありがとうございました。

※注辰巳ダム規模縮小、辰巳用水保全、農業用水削減などは、新しい問題を含んでいる。その後の展開は、犀川水系河川整備基本方針を巡る資料を参照してください)